i-chi-tora’s ura-diary 一虎裏日記

"王様の耳はロバの耳"よろしく、徒然なるままに憎らしくも可愛い娘&息子の愚行を愛をもって暴露していくことを中心とする裏日記

帰還

10日ぶりに日記を書く。

正直、何をどう書いたらいいのやら…と悩みながらの日記である。

久々に日記を書こうとパソコンの電源を入れて、はてなブログを開いてみると、10日離れただけなのに懐かしさを感じて嬉しくなった。

この数日間、嫌いな書類手続きと、これまた嫌いな病院通いのダブルパンチに見舞われて、ネタでしかないような毎日になり、脳内整理どころか部屋の整理もできていなかった。

 

とりあえず、息子の中学進学をかけた諸々の手続きが無事に終わり

(小学校の校長先生と中学校の校長先生と中学校の保護者会とパリ市教育委員会がそれぞれ違う手続き方法を提示してきて、もうなんのこっちゃら……息子の場合少しイレギュラーな手続きもあったため、結局、色々調べあげてから書類を提出するも、受け取る側も把握していないのか、出せども出せどもポケットのビスケットかのように次々と提出を要求される書類が増えていき、あの手この手でようやく全ての書類を提出できたと思ったら、その翌日の朝イチに、

『マダム!!ずっと待ってるんだが書類はいつになったらできるんだ!!?今日の朝には必須だといっただろう!!!?え?何!?もう出した?んなばかな!?私はもらってない!!あ!まて!!もしかしたら、あっちの箱にあるかも!!………!!あった!!あったよ!!あった!マダム!書類があったよ!!よくやった!!!じゃっ!!』ガチャン!!

と、息子の小学校の校長先生からのお小言調書類探しライブ中継をきかされ、さらにその直後

「ちょっと!!!書類は!!?校長先生に渡さないと!!今日までよ!!?」

と息子の担任の先生からもメッセージが入り、またかと思い、すでに提出済だと返事をすると

「すばらしいわ!ブラボー!よくやったわ!!」

と、日本じゃ考えられないようなハイテンションで担任の先生からのお褒めの返事が送られてきた。)

 

さらに、書類作成の合間をぬってパリ郊外の病院にて負荷心電図、血液検査を受けるはめになり、

(遺伝性高脂血症な為、主治医から念のためにと心筋梗塞のリスクを測定するため運動しながら心電図を測ると提案された。この検査で引っかかるのだけは勘弁してほしいと若干ビビりながら病院へと向かった。検査室では心電図のコードを上半身各所にとり着けられ、そのままサイクリングマシーンをこぐように指示された。最初こそ恐る恐るといった気持だったのだが、横のおばちゃん看護師さんが

『いいこと!時速70キロを目指すのよ!!…そんなんじゃ全然だめよ!!もっとよもっと!70キロいったからいいと思っちゃだめよ!!75キロよ!!ほら、がんばって!!まだまだいけるわ!!もっといける!!もう自分をアスリートだと思いなさい!!!ほら、85キロを目指して!!ほら!!そのまま7分続けて!!いけるわ!いける!さらにあと3分よ!あなた、アスリートでしょ!!!?そうよ!その調子よ!!!』

と、「アスリートちゃうしっ!7分ちゃうんっ!!?てか、70キロってゆったやん!!」と随時ツッコミをいれたくなる声援をひたすらかけ続けてくれたおかげで、必死で笑いをこらえながらの検査を終えると、気分はすっかりスポーツジムにでもいたような気分にさせられていた。

さらに血液検査においては、いつもお世話になっている血液検査担当のお兄さんがあいかわらずの日本贔屓で、日本人は禅の心を持ってるだの、富士山を想うと注射なんて痛くないだのと励ましてくれ、「そもそも禅の心とはなんぞや?」と考えながらの採血となった。)

結果は、ありがたくも特に問題もなく、食生活のコントロールを怠らないようにとの注意だけで終わった。

 

そして検査と書類手続きが終わった翌日、〆に(?)歯医者へ行って親不知を抜いてもらった。

(診察予約の電話をかけ、症状とともに自分はこの歯科医院では初診になるとのことを伝えると、院内には複数人の医師がいるからと『男の先生がいい?女の先生がいい?』と聞かれた。それは何基準で返答したらいいのかと一瞬返答に困り『じゃあ、、、女性で?』と少し疑問を投げかけるように答えると、笑い声と共に『そうよね!この質問、何なの?って感じよね?笑!そりゃ困るわよね!笑』と、こちらの疑問を汲んで返事をしてくれた。質問内容は意味不明であったものの、なんともフレンドリーな歯科医院だと、私は少し嬉しくなった。

予約当日、そんなフレンドリーな歯科医院へむかい、親不知を抜歯してもらうことになった。今までに親不知を抜いてもらった経験はあったし、麻酔も効きだしていたのだが、女医さんにあまりに勢いよく奥歯を動かされそうになり、おもわずビクッとしてしまった。そんな私に、横にいた歯科助手のおばちゃんが

『大丈夫よ。大丈夫。すぐ終わるから。』

と優しく微笑み私の手を取ってくれた。なんとも優しいおばちゃんだと感激したのだが、さらに驚くことに彼女はそれから治療が終わるまで終始私の手を握っていてくれたのだ。フレンドリーどころか、もはや私はあやされる子供で、ここは実は小児歯科なんじゃ?と可笑しく思うくらいだった。しかし、小さい頃から歯医者が大嫌いな私には彼女の優しさがとても嬉しく、医師の性別どうこうよりもここはおばちゃん衛生士こそ指名したいなと思えた。)

 

と、こんなこってり濃いめのネタにしかならない10日間を過ごしながら日々『くそ~日記に書いてやる~』と思うも 、あまりにイレギュラーな事態の多さに体力気力とも足らず、隙あらばひたすらに脱力していた。


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脱力中のアナログ遊び

自作影絵『ワニ』

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我ながら自慢できるなと満足した。

 

アホなことしてないで、

そろそろ日記に戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エイプリルフール適用外

昨日はエイプリルフールであった。

フランスでは、4月1日のことを【Poisson d'avril(ポワソンダヴリル)=四月の魚】と言い、日本の「嘘をつく」という遊び以外に、魚の形のお菓子を食べたり、友達の背中にこっそり魚の絵を描いた紙を張り付けたりと、魚にちなんだ遊びをする。

 

そんな昨日、我が家の娘&息子も学校から帰って来るや、それぞれの学校での魚遊びの様子を教えてくれた。

息子の学校では、息子の担任の先生の背中に20枚以上の魚の絵が、生徒たちによってこっそり張られたらしい。何も気づかない先生は

『校長先生の背中に魚の紙を張れた人には飴一箱をあげるわ!』

と、自身の後ろ姿など想像せずに子供たちといたずらを考えていたとのこと。結局、残念ながら校長先生の背中に魚は張れなかったらしいが、その担任の先生の姿があまりにおかしくて楽しかったと、息子は嬉しそうに私に話てくれた。

娘も、いつも厳しい感じの先生の背中に魚の紙を張りにいって、ばれて張れずに終わった話や、クラスの男の子たちが魚の紙を警戒して背中を壁に向けて横に歩いていたというおかしな話を楽しそうにしてくれた。

ここ数日うまく進まない事務手続きに辟易とし、若干やさぐれていた私は、子供たちのそんな楽しそうな様子を聞けて嬉しくもあり、羨ましくもあった。

『いーなー。ママも遊びたかった~。日本にはそういう遊びなかったからなあ。あったら全力で張って回ったのに~。』

と、ぼやくと娘に

『やろうな。ママ、好きそうやもんな。むしろママが今日学校来てたら悲惨なことになってたやろな。』

と返され、こんな楽しい行事がある日に私は何をしてたんだと、昼間の書類作成の時間に魚の張り紙の一つや二つ作って子供たちを迎え撃てばよかったと、己の面白みのなかった朝からの行動をひどく後悔した。

『あ、そうや。』

急に娘が言い出した。

マ(私)『?』

娘『今日、国語の期末テスト帰ってきてさ、何点やったと思う?』

マ『!?期末!!?そんなんあったん?え、そんなん言うくらいやし良かったん?』

娘『ふふ。なんと!!なんと!!20点満点!!すごくない!!!?』

マ『え!!!?うそ!!?すごいやん!?ってか、いつの間に(テスト)あったん!!?』

娘『いや、私もテストあるん忘れてて。先週テスト配られて気づいたん。』

マ『!やめてそういう、おっそろしいことするん!!でも、すごいやん!それで満点て!』

娘『ふふ。まあ、嘘なんやけどな。』

マ『は?』

娘『今日エイプリルフールやし。嘘許される日やん♬あ、ほんまは17点な。』

魚遊びにばかり気を取られていた私は、すっかりエイプリルフールの嘘遊びを忘れていたのだ。娘にそう言われ、ようやく自分がエイプリルフールの嘘に騙されていたのだと気づいた。

マ『ははああ!!?なにそれ!!も~!!くやしい!!…ん?まってまって!嘘ってどこからどこまでよ?期末はあったん??』

娘『エイプリルフールやし怒ったらあかんねんで~。嘘なんは20点ってことだけやで。』

マ『は?じゃあ、期末があったけど、すっかり忘れてたってくだりは嘘じゃないん?』

娘『ああ、それはほんまやで。でも今日は嘘大丈夫な日やから、怒ったらあかんねんで♬17点あったんやし、いいやん♬』

マ『……いや嘘とかどうとか…もう、なんてゆうか…』

ショックを受けている母を見て、まんまと嵌めれたと娘は上機嫌に笑っていた。

 

点数を騙されたショックより、期末テストを忘れるような娘にこそショックを受けていたのだとは、娘は知る由もない。むしろ、母はそれこそが嘘であってほしかった…。

 

 

愛犬ではないはず

『…………?』

足元に大きな塊がある気がした。

明け方、暖かな布団に埋もれて寝ていると、足に何かが当たった。まだ現実世界に戻りきれていない頭ながら、足元に何かしらの塊があることに気付いた。夢現で何があるかなど気にすることもなく、当たらないよう足を布団の端の方へと寄せるだけよせ、気にせず眠り続けた。

どれくらい経ったかわからないが、再び足元に何かが当たった。寝心地が悪くなり体を小さく丸めた。

再びどれくらい経ったかわからないが、またしても足元に何かが当たった。かなり身体を丸く小さくしていた私は

『もー!なにっ!!?』

と半ギレになりながら、ガバッと上体を起こし、自分の足元のほうを見た。

私の足元にはなぜだか息子がいた。息子はまるで大型室内犬かのように私の足元近くに入りこんで眠っていた。

『犬かっ!!』と呟き、自分のベッドへ戻るように促そうと息子を揺さぶったが、息子は全く目も開けず、嫌そうに鬱陶しそうな顔をしながら眠り続けた。

しかたがないので、息子を起こすことを諦め、再び枕の近くで丸くなって息子と寝床を半分こした。

小さく丸くなりながら浅い眠りについていると、

『ママ~、朝ご飯つくって~。』

と娘が起こしに来てくれた。

時計をみると朝七時過ぎだった。数時間前からの息子の侵入により寝苦しくてまともに眠った気がしなく、いつもの数倍面倒に思いながら起きることにした。身体を起こし足元を見るとやはり変わらず大型犬のようなに眠る息子がいた。人の貴重な睡眠を邪魔しやがって~っと恨めしく思いながら、息子をほって台所へと朝食をつくりにむかった。

三人分のサンドイッチを食卓に並べると、起きてこない息子をおいて先に娘と二人でサンドイッチを食べることにした。明け方の息子の所業を娘に愚痴りながら朝食を食べた。娘と二人での朝食を終えてから、いい加減そろそろ息子を起こさねばと私は自分の寝床へと息子を起こしに向かった。

母の布団で気持ちよさそうに寝続けている息子を見て、寝不足気分の私は心底うらやましくなり、もう一度息子の寝ている私の布団に入り込んだ。その瞬間、

『もう!!』

『あっち行ってよ!一人で寝てんねんから~!』

と、目を閉じたままの息子に超絶鬱陶しそうに叫ばれた。私はガバッと起き上がり

『誰の布団やー!!!』

と叫んだ。

が、息子、母を無視。

あまりの理不尽具合に、全力で息子を揺さぶり起こしにかかった。

『おきや!!』

『そこママのとこやしな!』

『あんたんとこちゃうしな!』

『いつまで寝る気よ!!』

『もう起きやな間に合えへんで!!』

と言いながら布団に隠れる息子をゆするも、全く布団から出てこようとしない息子。かくなる上はと、

『じゃあ、サンドイッチ、ママが全部食べるからな!!』

と叫び、揺さぶるのをやめた瞬間、

『たべるよ!!』

と叫びながら布団からガバッと息子が現れた。

 

 いつもの息子の起き方とはいえ、餌につられるその様に

実家の愛犬を重ねてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

めでたいのは母の頭か3月か

一昨日の記事『敬意』をもって、この裏日記が108記事に達した。仏教でいうところの煩悩の数分、記事を書き連ねてこれたのだ。有益情報皆無の日記につき、100記事達成よりも108記事達成の方が『煩悩100%!!』といった感じがして、嬉しく思ってしまった私は阿呆だろうか。いや、嬉しいどころか、それ以来

『書籍にするなら108記事ずつで一冊にする…まずは電子書籍か…』

等と、さらにあまりある煩悩を使って娘&息子&主人への壮大な嫌がらせを考えているくらいだ。世の中には何百記事と書かれている方が沢山おられるとゆうのに、我ながらなんともめでたい幸せな思考回路である。

そんな幸せな思考を抱いていたこの数日、私はある大事なことに気付いた。

日本では3月のこの時期、最終学年にいた子供たちが今まで通った学校を卒業していく。ここ最近、そんな子供たちの卒業式に立ち会われ感動された方々の記事を読みながら、『そりゃ感慨深いだろうなあ』とか『これは私でも泣いてしまうなー』等と思い、同じく感動させていただいていたのだ。

そんな中、「そういえば〇〇ちゃん(娘の1歳年下の友人)が4月から6年生になるって言ってたなあ、そうなると来年の今頃あの子は卒業かあ。この間小学生になったと思ったのに早いなあ…」とふと考えたのだ。そして、気づいた。

「ん?ん?…〇〇ちゃんが来年卒業ってことは…え、うちの娘、今年卒業やん。」

と。

そう、なんと男前の我が娘、実は日本では小学6年生だったのだ。

フランスの小学校が5年制なことと、生まれた西暦によって学年を分けられるシステムにより、娘は一昨年の9月からフランスの中学に通っており、半年ほど前の9月からは日本の中学の教材を使って日本の社会科や国語を勉強していたのだ。おまけに身長も160センチとなり今や私とほとんど変わらない大きさである。これだけでも娘の学年を勘違いしてしまう要因としては充分だろうと思っているのだが、さらに付け加えると最近の我が娘は、日々口癖のように二言目には

『も~!ママ~!』

『ま~ま~!』

『ママッ!!』

と、どこぞのオカンかのように呆れながら母である私に苦言を言ってくるわ、

この間なんて近所の行きつけの酒屋のおじさんに

『うちの息子が26の独身でね、彼女もいなくてさ。うちの息子の嫁にお宅の娘はどうだろうか?』

と言われたりで、中身がオカンばりのしっかりした性格なうえ、パっと見も年齢不詳なのだ。小学生だと覚えていられるわけがない。

さらに私は己の日記においても『娘の中学校で…』『娘の中学の…』と、中学中学と連呼していたのである。むしろ、よく気づいたと言いたいくらいである。

 

実のところ今更日本の卒業式も何も娘には関係はない。しかし、それでも日本人であるのだし日本においての学年を三月中に気付けて良かったと私は思っている。日々読ませていただいている方々の卒業式に関するお話のおかげで、我が子もそんな学年だったのかと想像しながら卒業式に想いを馳せることができたのだ。

煩悩まみれの頭を使って娘の卒業式を想像して幸せな気分になれたうえ、九月からこちらで中学生になる息子にいたっては

『よしっ!助かった!!まだ小学生枠やん!!セーフ!!』

と【息子の奇行、小学生男子ゆえいたしかたなし】という、これまた幸せな解釈を得られたのだ。

大事な良いことに気づけて本当によかった。

 

次は煩悩総集編第2巻を目標に、216記事を目指そうか。

兎にも角にも頑張りマウス。

 

 

 

 

 

 

【煩悩 : ぼんのう】

仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働き(汚れ)を言う。

(参照  Wikipedia)

 

 

敬意

母からのメッセージに気付かない娘。ヤツが帰ってくるまでに、バナナとお花を買いにいこうと、息子と二人上着をはおい、出かける用意をしていると、私の携帯電話にメッセージが入った。

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『あけろーーー

ろーーーーーーー

はーーやーーいーーー!!!!』

と。

『はやい』ではなく『はやく』だろうがとか、母に対して何たる口調だとか思いながら、慌てて娘に電話をかけた。

『え、ほんまに今あけていいの?』

『いいよ。結果おしえて!はやく知りたいから!』

と言われ、私はコンクールの結果の入った封筒を手にとった。娘と通話状態のまま、恐る恐る開封し、折り畳まれている一枚の紙をとりだした。

『20点満点中18点!!何位とは書いてないけど、授賞式にくるようにって!』

『はい。わかった。』

『すごいやん!18点て!』

『うん。ありがと。もうちょいしたら家帰るな。じゃ。』

『え!?』

結果を伝えると、あっという間に娘に電話を切られた。バナナとお花を買いにいこうと上着を着ていた私は慌てて娘に電話をかけなおしたのだが、いくらかけても繋がりはしなかった。またしても飛行機モードか…と諦め、もうすぐ帰ってくるなら出かけるわけにもいかないかと上着を脱いで、お花とバナナをあきらめた。娘のバイオリンコンクール出場に関し、ひたすら尽力してくださったバイオリンの先生に、結果が書かれた手紙を写真に撮りお礼とともに送信すると、すぐさま返事が送られてきた。

『おめでとうございます!!順位が書いてなかったからと、一位に入れなかったからと、残念がらないでいいとしっかり言ってあげてください!一位でもおかしくない得点ですし、十分高得点です!よくがんばったとひたすら誉めてやってください!』

と、なんとも優しい言葉が書かれていた。

電話をあまりにあっけなく切ったことといい、本人は恐らく悔しかったのかもしれないと思えた私は娘が帰ってきたらひたすらほめてやろうと思った。

しばらくして、娘が帰ってきてから、ひたすら誉めちぎり、おめでとうを言った。娘は嬉しいような少し複雑な顔をしていた。

 

それからのこの数日間、ありがたいことに日本にいる祖父母や友人達からも娘への激励の言葉が相次いだ。娘は悔しがる様子もみせず、皆にお礼を言っていた。さらにそんな中、バイオリンの先生から一通のメールが届いた。

『次からのレッスンは、この楽譜をするので譜読みをしておいて下さい。』

とのこと。添付されていたファイルを開けると、素人の母には解読不可能な複雑そうな楽譜が7枚もあった。娘に、

『これ、やっとくようにって先生からきたよー。』

と、携帯画面で新しい楽譜を見せると、嬉しそうに笑いながら、

『ええ~~っ!!もう新しいのきたん!!?一週間はゆっくりできると思ってたのに~っ!!!』

と顔と一切一致しない言葉を発した。明らかに言葉より顔がものをいっている状態だった。この間コンクールが終わったというのに、一息つく間もなく、ひたすら練習に励み続けなければならないということに嬉々とする娘を見て、我が子ながらもはや尊敬できると思えた。そんなことを考えていると、

『この楽譜、早く印刷してな!!あ、インクある!?ちゃんと買っといてや!!』

といつものように、母のダメ具合を心配しながら言ってきた。

 

ヤツと似た者親子とか言ってたら、そのうちバチがあたるかもしれないな……と思えた。

 

 

 

 

追伸 : 

娘のバイオリンコンクールに関し、応援、ご心配くださった読者の皆様、どうもありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も今日とてフライト中

 

今、目の前に先日娘が受けたバイオリンコンクールの結果が入った封筒がある。

ついさっき郵便受けに入っているこの封筒を見つけたのだ。

『もう来た!!!』

と思い、娘の携帯にメッセージを送った。

『きたよ!きた!』

『結果きたよ!』

『帰ってきたらあけるよな?』

『開けて教えてほしい?』

とかなんとか、封筒の写真まで添付して何通か送ったのだが返事が一向にこない。

今日は水曜日で、本来なら一時半過ぎには学校から帰って来て一緒に昼食を食べるのだが、今日は学校後そのまま友人宅へと遊びにいってしまったのだ。

 

娘は中学に入ってから携帯をもちだした。子供の安全を考えて私たち親が持たせただけなので、彼女の携帯は高機能スマートフォンというわけではなく、通話やメッセージ、メール、音楽など、最低限のことはできるといったタイプのものだ。

大人も子供も便利だなんだと依存性すら心配される携帯電話という便利グッズ。電車に乗れば乗客が一斉にスマホを触りだすくらいの今の世で、娘が携帯を持ち出した当初、私も娘がそうなるかと注意をしつつ、少なからず心配した。

しかし、娘はそんな母の心配とは相反して、恐ろしいほど携帯電話に対して執着をもたなかった。彼女いわく、

『学校で使用禁止やから機内モードにしてるねん。』

とのこと。

『へー。』

と、それを聞いた時は感心した。

しかし、ここ最近、なにかと面倒くさいという理由から学校以外でも半日以上機内モードのままほったらかし、そのまま充電が切れていようと気付かない。さらに前回のバカンスにおいては、コンクールもあったからと二週間丸々電源を切って過ごしていたのだ。さすがにそこまですると周りの友人達が困るだろうと娘に言うと、

『皆知ってるし、どうせ学校でしゃべれるやん。皆で遊ぶとかなったらママの携帯にかかってくるやろから。』

と、母を受付窓口に設定済みだと言い出したのだ。この人これでいいんだろうか?と思いながらも、過度に携帯に依存するよりはましであるかと、やはりその時も彼女の携帯の使用方法に関し何も言及はしなかったのだ。

しかし、今まったく娘から連絡をよこさないこの状況から、よくよく考えるとヤツの携帯電話に電話しても5回に1回くらいしか繋がったためしがないという気がしてきた。

絶対に今もヤツの携帯の右上には✈️こんなマークが入っているに違いない。

帰って来たら、学校の門から出たら機内モードを解除するよう言い含めねば。

 

 

その前に、験担ぎのバナナ七本とお花でも買いに行くとしよう。

 

悪知恵使いの子供達

朝7時前。目が覚めると既に娘が起きていた。

息子が入学予定をしている中学の保護者説明会、音楽教室、コンクール、知人から頼まれている事務作業等、ここ数日バタバタとこなしていたせいか、やたらと深く眠っていた私は、起きてからも頭がぼうーっと思考が働いていなかった。

娘に朝御飯のサンドイッチを作り、食卓へ持っていくと、何やらご機嫌な娘がいた。特に理由はないようだったのだが、いつもより服装に気合いを感じた。

『今日の格好かわいいやん。』

と娘にいうと、

『そやろ?私も気に入ってるねん!』

と嬉しそうに答えた。

制服のような膝上のプリーツスカートに黒タイツをはき、薄いピンクのカーディガンをきていた娘は、明らかに日本の女子高生を意識しているようだった。

『うん。かわいい。黒ピンクの組み合わせはママも好きやし。制服っぽくていい。』

というと、娘は嬉しそうに笑っていた。

朝御飯を食べおわり学校へ行く用意ができた娘をいつものように見送ろうと、玄関の方へいった。家のドアをあけ、アパートの階段でスニーカーの靴紐をくくっている娘を見ながら、(やっぱり制服はタイツのほうがかわいいよなー)とか思っていて、ふと気づいた。

『なあ。黒タイツってもってたっけ?』

と娘に尋ねた。

娘『え?…あったんじゃない?』

ママ(私)『いや、ない。ない!今青っぽいのしかなかったはず!』

娘『えー、そやっけ?』

マ『それママのウォルホードのタイツやろ!!!!』

思考が瞬時に通常運転へときりかわった。私の言うウォルホードのタイツとは、以前友人に勧めらた超高品質高級タイツであった。今までタイツひとつにそこまでこだわらなかったのだが、友人の熱弁っぷりと、たまたまタイミングよく8割引きの限定セールが重なり購入し、あまりの履き心地とキメの細かさに感動し、大事に大事に使ってきた代物だった。それをあろうことか、まだ12にしかならない小娘がしれっと学校にはいていこうとしてしていたのだ。

娘『え~。しらんで。畳んで置いてあったとこからとっただけやもん。』(笑)

マ『そんなんタグ見たらわかるやん!ってか、履き心地ちがうし!!しかも、黒いタイツ今もってなかったやん!!』

娘『タグなんかわざわざ見てないしなー。もうサイズ一緒やし気づかんよ。あ、もう行かな!時間ないしな!今からどうもできへんやん!じゃ!!(笑)』

マ『明らかに顔笑ってるやん!!この確信犯があ!!!』

娘『大丈夫!破らんように気を付けるから!!(笑)』

マ『!破ったら家入れへんわっ!!!』

と、アパートの階段にて朝から二人でぎゃあぎゃあと言い合うも遅刻させるわけにもいかず、泣く泣くウォルホードのタイツとともに娘を送り出した。

ドアを閉めてから、息子を起こしにいった。寝起きの悪い息子がベッドから起き上がるのを見届け再びサンドイッチの用意をした。用意したサンドイッチを息子と二人で食べながら、タイツの件を息子に愚痴るも、微塵の関心も見せない彼の様子に、さらに私はふてくされた。

息子を学校へと送り出し、子供たちのベッドをきれいにしようと二段ベッドの前へいくも、なんてひどい朝だとふてくされていた私は、ついうっかり息子のベッドにバタンと倒れ込み、そのまま二度寝をしてしまったのだ。

 

ブーブーブー…ブーブー…と携帯のバイブの音が近くでしたような気がしたが、すぐに止んだ。再びブーブーブー…と、今度ははっきりと聞こえた。

電話なってる!と、ガバッと起き上がり近くにあった携帯を慌てて手にとり、画面もよく見ずに電話にでた。

私『はい!』

マダム『あー!私、○○小学校のキャシー(仮)よ!』

私『!!』

私はとても驚いた。いや、驚いたどころじゃなかった。心臓が止まるかと思った。というのも、数年前の3月に、同じように学校から電話があり息子の大ケガを報告され、救急車で運ばれたのち、薄皮一枚分で息子の一命をとりとめるという事態を経験していたからだ。またしても何かあったかと、瞬時に恐怖にかられた。

『あ、今おたくの息子にかわるわね。』

と明るい口調でキャシー(仮)に言われ、私は一気に安堵した。

息子『あ!ママ??』

マ『どうしたん!?なんかあったん?』

安全はわかったものの、一体何があったのかと多少の不安がありながら聞くと

息子『あんなー、ぼくメガネ忘れたから、もってきてー。』

ママ『は?…メガネ???え、今から?もってこいと?』

息『うん。ママにメガネ忘れたから持ってきてって頼みたいし、先生に携帯かしてって言ったら先生がかけてくれてん。入り口のガーディアンさんに渡しといてくれたら、後はとりにいくから。じゃあねー。』

そういうと、あっけなく電話を切られた。

メガネひとつに母をパシリにしようとはなんてやつ!!と部屋で一人憤慨。

くっそ~!!ゆるすまじっ!二人ともっっ!!っと思いながらメガネを持って息子の小学校へと向かった。

 

夕方、娘が帰ってくるやいなや、

『今すぐタイツを脱げ!!』

と追い剥ぎのように迫り、

息子には、

『二度と先生の携帯をあてにするな!!!』

とぶちきれた。

 

 

成長とともに伸びる身長と(悪)知恵に恐怖を感じた一日だった。