めでたいのは母の頭か3月か
一昨日の記事『敬意』をもって、この裏日記が108記事に達した。仏教でいうところの煩悩の数分、記事を書き連ねてこれたのだ。有益情報皆無の日記につき、100記事達成よりも108記事達成の方が『煩悩100%!!』といった感じがして、嬉しく思ってしまった私は阿呆だろうか。いや、嬉しいどころか、それ以来
『書籍にするなら108記事ずつで一冊にする…まずは電子書籍か…』
等と、さらにあまりある煩悩を使って娘&息子&主人への壮大な嫌がらせを考えているくらいだ。世の中には何百記事と書かれている方が沢山おられるとゆうのに、我ながらなんともめでたい幸せな思考回路である。
そんな幸せな思考を抱いていたこの数日、私はある大事なことに気付いた。
日本では3月のこの時期、最終学年にいた子供たちが今まで通った学校を卒業していく。ここ最近、そんな子供たちの卒業式に立ち会われ感動された方々の記事を読みながら、『そりゃ感慨深いだろうなあ』とか『これは私でも泣いてしまうなー』等と思い、同じく感動させていただいていたのだ。
そんな中、「そういえば〇〇ちゃん(娘の1歳年下の友人)が4月から6年生になるって言ってたなあ、そうなると来年の今頃あの子は卒業かあ。この間小学生になったと思ったのに早いなあ…」とふと考えたのだ。そして、気づいた。
「ん?ん?…〇〇ちゃんが来年卒業ってことは…え、うちの娘、今年卒業やん。」
と。
そう、なんと男前の我が娘、実は日本では小学6年生だったのだ。
フランスの小学校が5年制なことと、生まれた西暦によって学年を分けられるシステムにより、娘は一昨年の9月からフランスの中学に通っており、半年ほど前の9月からは日本の中学の教材を使って日本の社会科や国語を勉強していたのだ。おまけに身長も160センチとなり今や私とほとんど変わらない大きさである。これだけでも娘の学年を勘違いしてしまう要因としては充分だろうと思っているのだが、さらに付け加えると最近の我が娘は、日々口癖のように二言目には
『も~!ママ~!』
『ま~ま~!』
『ママッ!!』
と、どこぞのオカンかのように呆れながら母である私に苦言を言ってくるわ、
この間なんて近所の行きつけの酒屋のおじさんに
『うちの息子が26の独身でね、彼女もいなくてさ。うちの息子の嫁にお宅の娘はどうだろうか?』
と言われたりで、中身がオカンばりのしっかりした性格なうえ、パっと見も年齢不詳なのだ。小学生だと覚えていられるわけがない。
さらに私は己の日記においても『娘の中学校で…』『娘の中学の…』と、中学中学と連呼していたのである。むしろ、よく気づいたと言いたいくらいである。
実のところ今更日本の卒業式も何も娘には関係はない。しかし、それでも日本人であるのだし日本においての学年を三月中に気付けて良かったと私は思っている。日々読ませていただいている方々の卒業式に関するお話のおかげで、我が子もそんな学年だったのかと想像しながら卒業式に想いを馳せることができたのだ。
煩悩まみれの頭を使って娘の卒業式を想像して幸せな気分になれたうえ、九月からこちらで中学生になる息子にいたっては
『よしっ!助かった!!まだ小学生枠やん!!セーフ!!』
と【息子の奇行、小学生男子ゆえいたしかたなし】という、これまた幸せな解釈を得られたのだ。
大事な良いことに気づけて本当によかった。
次は煩悩総集編第2巻を目標に、216記事を目指そうか。
兎にも角にも頑張りマウス。
【煩悩 : ぼんのう】
仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働き(汚れ)を言う。
(参照 Wikipedia)