i-chi-tora’s ura-diary 一虎裏日記

"王様の耳はロバの耳"よろしく、徒然なるままに憎らしくも可愛い娘&息子の愚行を愛をもって暴露していくことを中心とする裏日記

チーズはどこへ消えた?

ここしばらく、学生時代に読んだ「チーズはどこへ消えた?」という本を何度も思い出した。かなりうろ覚えだったのだが、たしか、広い迷路の中、食べても食べても無くならないほどの大量のチーズがある一角があり、そこに二組のネズミが生活していたのだが、ある日突然そのチーズが消えてしまうというお話だった。毎日の食料であったチーズが消えたネズミ達は、チーズが消えた空間で事態が信じられず、ただひたすら嘆き困りはてるネズミと、消えたのならば仕方なしとすぐに迷路を進みだし新たなチーズを探すことにするネズミ、二つのタイプにわかれた。その本は、そんなネズミ世界のお話しを通して読者に、不測の事態だろうが臨機応変に一つの形に固執せずに対応していけよという教えを強く語っていた気がする。

 

 

新年早々、心を新たに日記に励もうと考えていた矢先の1月上旬某日の午後、仕事が休みの主人と昼食をとった後、二人で食卓にてコーヒーを飲んでいた。

おもむろに、主人が言った。

「あのさあ、ちょっと話したいことあるんやけど。」

「なに?どうしたん?」

「あのさ、、、ちょっとさ、今の仕事辞めて台湾行こうと思うんやけど、これを機に別れへん?」

「???は?たいわん?タイワン!???」

 

すぐさま頭に浮かんだのは小籠包だったが、そんな物はさすがに一瞬で消え去り、それから暫く私の頭に浮かび続けたのは時の人、国外逃亡を果たし異国で己の正義を叫び続けるカルロスゴーン氏、その人であった。

一年と少し日記を書くも、主人の登場回数は本当に数えるほど。仕事が多忙で殆ど家にはいないので、日記に書きようがないのも事実だが、数年前のある事件を機に私の堪忍袋の緒が切れ、それまでの拗れた夫婦関係も重なって、もはや愛想がつきた!と絶縁を宣言していた状態であったのだ。しかし、子供たちは私のことも父親である主人のことも大好きであり四人でいる時間を楽しんでいた。絶縁宣言後、同じ空気を吸うのも嫌!という程の憎しみが続くようなこともなく、以前にあったどうしようもない嫌悪感が消え、お互い相容れようがない二人なのだという理解が生まれた私達夫婦は、そんな子供達の気持ちは尊重したいと考え、子供たちがもう少し大きくなったら別れましょうと決めたのだ。

にも関わらずの突然の国外逃亡宣言。さすがの私もフリーズ(凍結)。

 

「台湾?台湾て、台湾よな。アジアの。」

「うん。仕事の関係で、あっちに来ないかといってもらってて、、、」

「いつから?」

「…早かったら五月?」

「五月!!?五月て、この五月?来年?」

「この五月。でもまだ、それは確定じゃなくて、今年中にいけたらいいかなあと。」

聞けばわりと具体的な今後のプランが決まっており自分だけが台湾へいき、こちらへ仕送りをするからこのまま3人でいればいいとかなんとか、、、、コイツかなり前から黙っていたなと思えてきたと同時に、この一家の主にあるまじき唐突な責任丸投げ宣言に様々な怒りの感情が湧いてきて、さすがの私もキレた。

しかし、だからといって彼の行動に反対はしなかった。我々家族のことでもあるが彼の人生でもあり、家族が鬱陶しいから一人出ていくと言い出すような愛情のない人間ではないこともわかっているからだ。私の周りの人間にこの出来事を話すと大体の人は、酷い話で酷い旦那だというのだが、もちろん否定しきれない部分もかなりあるが、同時に現奥様としては彼なりに辛さや愛情があることを理解できなくもなかった。

「ちょっと、どうするか考える。」

と、私は主人に伝えた。

それからこの一ヶ月間、今後の我々三人の生活をどうするか、どうできるか、何がしたいか何をすべきかを必死に考え、この5〜10年程に我々に関わりそうなあらゆる事、生活、教育、進学、就職、社会等、あらゆる方面からかなり具体的に調べまくった。

 

そして、頭にネズミを飼い始めた私は一つの結論を出した。

LIFE  IN  JAPAN

という結論を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

笑う門には福よ来い

一月二日、新年の挨拶をしようと実家へと電話をかけた。

私の実家ではいつも元旦は家族でのんびりと過ごし、二日から親戚友人が集まり新年の挨拶をする。今年も姉夫婦が一月二日から実家へ行くときいていたので、それに合わせ、日本時間の一月二日の夜に電話をした。

『新年明けましておめでとう。』

と姉、義兄、甥、父、母、と順番に電話をかわってもらい皆に新年の挨拶を告げたあと、祖母に電話をかわってもらった。

祖母とは、私が小さい時から一緒に実家で住んでいる私の父方の祖母であり、すなわち私の息子&娘のひいおばあちゃんである。有難いことに90歳を超えて尚しゃかりきに元気でいてくれて、今までに数々の爆笑エピソードをたたきだしてきた我が家族の原点のような存在だ。

1番記憶に新しく強烈であったエピソードといえば、数年前に父が心筋梗塞を起こした時だろうか。

父が心筋梗塞を起こし救急で運ばれ長時間にわたる大手術を受けた事があった。心配になった私も連絡を受けてすぐに緊急帰国し父の元へ駆けつけた。私が病院に着くと父は集中治療室に運ばれていたものの、幸いにも一命を取り留めていた。安堵した私はそれから数日間、実家に滞在していたのだが、その間、私は母と姉とで、祖母に対し少しの情報操作を行ったのだ。というのは、父が順調に回復に向かえることに加えても、祖母が自分の息子である父が生死の境を彷徨ったという事実を知ると、今度は祖母が心配しすぎてショック死するのではないかと考えたからだ。よって私たちは、

『なんか、ゆーても大したことなかったみたいやで。一応、念のため入院しとこかってなったらしいよ。』

と父の大手術の件を祖母には伝えないでおいた。

数日後、手術後の集中治療を終え一般病棟へ移り、歩けるようになった父が病院内の公衆電話から実家へと電話をかけてきた。入院している自分の身を心配してるであろう母、つまり祖母に自分の元気な声を聞かせて安心させようと思ったらしい。父はいつものように、明るい口調で電話をとった祖母に対し、こう言った。

『ああ、おかあちゃん?オレオレ!』

と。

80歳を超えていようと超人的に元気な祖母は瞬時にこう思ったらしい。

「これが噂のオレオレ詐欺か!!」

全くもって残念な世間の詐欺事件のおかげで父の祖母へ対する気遣いは撃沈。祖母は電話口に向かって大声で叫んだ。

『うちに息子はおりません!!!』

と。

そして父は祖母になかったことにされた上、すぐさまガチャン!と電話を切られたのだ。

この時は本当に父が気の毒になった。

しかし、その後

『あはははは!そりゃ、今時あんなオレオレ言われたら疑うわあ!ははははははは!』

と笑いながら自己弁護をする祖母の意見が圧倒的に強く、

『今の時代、電話口でオレオレ言うのはアウト!』

と、病後の父が我が家では罪人となったのである。

私としては胸中、「親子コントか!」と突っ込まずにはいられなかった話である。

 

 

そんな愉快痛快な祖母と先日、新年の挨拶を電話でした。

息子『明けましておめでとう!おっきいおばあちゃん!!』

祖母『あははははははは。元気にしてるー?はい、明けましておめでとう!いやーおばあちゃん、電話で喋れて嬉しいわあ!あはははははは!』

娘『明けましておめでとう!!』

祖母『あはははははは!はいはい!おめでとう!』

娘『きいてきいて、ついにママの身長抜かしてんで!』

祖母『あはははははは!そう!そんな大っきくなったん!ははははは!そりゃすごいわあ!ははははは!』

娘『おばあちゃんはほんまに笑ってばっかりよなあ!』

祖母『ははははは!え〜そうか〜?』

娘&私『いや、笑いっぱなしやん!』

祖母『ははははは!そうか!ははははは!』

 

オレオレ詐欺疑惑事件を笑ってごまかした時から数年経てども変わらぬ元気さと笑い声をもつ祖母。箸が転んでも可笑しいとするは10代の頃を指すらしいが、90だろうが挨拶ひとつに笑い転げる祖母を見ていると、その説はどうなんだろうと娘と二人で協議した。

挨拶一つで笑う祖母、つられて笑う我が子達。さらに続いて笑う私。端から見ると若干異様な光景であったかもしれないが、笑う門には福来るということで、あれだけ笑ったら余程良いことあるのだろうと子供達と言い合った。

 

 

 

 

今年も愉快でいい事ありますように。

皆様、今年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 

一虎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後悔残すべからず

12月31日午前3時、はてなブログアプリをインストール。何もこんな夜中にしなくとも、、、と我ながら思わずにいられない。しかし、それでもそうしなければ、さらに後悔するだろうとも思えたのだ。

 

11月に入りしばらくして、珍しく大人数の集まりと関わりを持つことになった。すると、次から次へと携帯電話へ届くメールの嵐。おまけにどれもこれも長文な上、直接関わりがある大事なメールは15通に1通くらい。おまけに一斉配信のメール上で他人を中傷したり口論するような内容まで飛び交う始末となり、次第に私はデジタル活字を見るのも嫌になっていき、

「もう携帯電話なんかいらん!!」

と愚痴ることが増えていった。

本当にその瞬間はそう思っていたのだ。しかし、いざ無くなった瞬間

「神様、わたしがバカでした!!」

と神様も呆れるくらい、いや、息子&娘が

「ママ、アホや、、、」と呆れたくらい、前言を否定した。

そう、そんな愚かな私の望みを神様は聞き逃さなかったのだ。もっと他の「1億円当たりたい!」とか「日本の温泉に入りたい!」とかを叶えてくれたらいいのに、なぜにそれを聞いてくれるかと問いたくなるくらい、急に携帯が壊れたのだ。色々と修復を試みるも撃沈。今や息子の学校の宿題すら携帯アプリで見なければならないような環境のため、そのまま携帯電話を持たないという選択肢も取れず、泣く泣く新たに携帯電話を買う羽目となったのだ。

新たな携帯電話を手にしたものの、再び襲ってきたデジタル活字への嫌悪感から、日記を書くのも記事を読むのも気が向かず、はてなブログアプリもインストールせず、今日まで自分の日記を開けずにいた。

 

この一ヶ月と少しの間、携帯電話を恨みたくなるくらい不快に感じる時間が多かった。それこそ、「人と関わりたくない!」だの「引きこもっていたい!」だの喚いたりもしたぐらいなのだが、つい先日、関わっていた色々な事がとりあえず少し一段落したせいか、ようやく徐々に気分がスッキリしてきた。

かなり気分が晴れた今となっては、合間合間にあった子供たちの事件や喜劇や珍事を書き留めておかなかった事が悔やまれた。日記であるだけに、これだけ時間が過ぎてしまっては、もうどうしようもない。そのうち、格好つけて『〜追憶〜』とかのシリーズにして書くのも一つの手段かもしれない…とか狡いことも考えているのだが、とりあえず今は今年の後悔を来年に持ち越さないよう、後悔するようなことをした事を懺悔しとこう。

 

2019年12月、

ドラえもんの本体は邪魔やからポケットさえあればいい。」

といい放った娘

3回怒られると1時間補習を追加される学校にて、既に5時間補習を受けてる息子

 

来年こそはお手柔らかにと願いたい。

 

 

それでは、

皆様、良いお年を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

息子との晩餐

鬼の居ぬ間に、、、訂正。

娘の居ぬ間に息子と二人の時間を楽しんだ。

 

 

娘とは違い息子は小さい頃から、アンチ自然、インドア万歳、土の上なんて歩きたくない、人間以外虫も動物も大嫌い…そんな精神の持ち主だった。それこそ野外キャンプなんて誘おうもんなら断固拒否をしていただろう。しかし、成長とともにそんな考えも少しだけ変わったようで、今回の姉のキャンプに関し一緒に行きたいとまでは言わないものの、時折少し羨ましそうにしてみせた。

そんな息子を若干気の毒に思った私は、この四日間くらいは息子のわがままに付き合ってやろうと思い、息子に何がしたいか?何が食べたいか?と、よく尋ねたが、天気もさほど良くもなく暖かくもなくで、特にあれがしたいこれがしたいという案が息子からは出されなかった。

しかし、母のわがままを聞いてくれそうな空気をしかと察知はしていた息子、やりたいことはなくとも食べたい物ははっきりしていた。

1日目『夜ご飯にインスタントラーメン』

昼御飯に出ることはたまにあるが、夜ご飯としてはあまり出てこない。そんなちょっとしたレア感からのチョイスだったのだろう。母としてはこんな楽でお得な夕食はないと、願ったり叶ったり状態だった。

しかし、2日目の提案はそんなお手柄メニューの真逆となった。

2日目『カツカレー』

我が息子ながらなんて憎らしいチョイスをするんだと、心の中で、

「なあ、知ってる?カツカレーって、トンカツをつくった挙げ句に、カレーまで作らなあかんねんで?言ってみれば二食分よ?世間の家庭で前日がトンカツでもないのに、一からカツカレーを作る家ってあるの??これは二食分にカウントするメニューじゃないの?」

と、少なくとも三回はぶつぶつ言っただろう。しかし、リクエストを聞いてやると言ったからには、やはり作ってやらねばと

『えー、もうトンカツでよくない?』

と足掻きながらもオーダー通りカツカレーを製作。

頑張って作ったカツカレーは私にとっても久々であり好物のひとつであり、自分で作っておきながら、『あぁ!最高!美味しすぎるっ!』と言ってしまうくらい、もはや感動的だった。私達二人は、

『キャンプのカレーも美味しいやろうけど、トンカツはのってないしなあー。』

とか

『さすがに外でカツは無理やもんなー。やっぱりカツ入りカレーは最高!』

と言い合いながら、キャンプに対する羨ましさをカツカレーで払拭した。

 

三日目。息子と二人の最終日。

その日は、朝の10時からラグビーワールドカップ勝戦が行われた。

南アフリカイングランドの試合、どちらにも頑張ってもらいたく、どちらを応援するとも決め難い私だった。そしてそんな私の横には同じように、今晩の夕食にハンバーガーを食べに行くか、ピザを食べに行くかを決めかねている息子がいた。

『ママはどっちを応援するの?』

と聞かれた私は

『どっちも応援してるから!どっちか選ぶのは無理!』

と答えた。すると、息子が、

『じゃあ!南アフリカが勝ったらハンバーガーな!イングランドが勝ったらピザ!』

と提案。

『じゃあ、それでいこう!決まり!』

と、私達は夜ご飯の決定権を二国の選手達に預け、決勝戦を見守ることにした。

あっという間の約二時間、夕食のことなど忘れペナルティや点が入るごとに絶叫し、見事な加点になれば歓声つきの拍手を起こした。そんな我が家の騒音はご近所の人達に

『一虎さんちは一体どっちを応援してるんだ???』

と思われていたかもしれない。最終的に南アフリカが優勝となり、試合後の表彰式も拍手をしながら見守った。そして、

南アフリカが勝ったなあ!じゃあ夜ご飯はハンバーガーやな!!』

と、まるで祝賀会でもするかのように私達は二人ではしゃいだ。

 

夜になり、二人ですぐ近所にあるご飯やさんへ行った。息子は予定していた通りハンバーガーとコーラを注文し、私は鴨肉のグリルとグラスワインを一杯頼んだ。私と二人きりの時の息子はいつもの息子と少し変わる。妙に落ち着き、普段のおかしさが大幅に減ってしまうのだ。レストランにて席に案内され、注文をきいてもらい、その度、丁寧にお礼を言い、騒ぐわけでもなく着席する。勿論、愛想を振り撒くことも忘れない。一体どこでこのスキルを身に付けたのかといつも不思議で仕方がない。

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注文した料理が運ばれテーブルに並べられると二人で乾杯をした。キャンプは羨ましかったけれど、二人きりのこんな時間もなかなか悪くはないと息子と話をしながらの最後の晩餐だった。私は久しぶりの大好きな鴨肉に赤ワインが進んだ。美味しい美味しいと言いながらの食事、グラスの中のワインが残り少なくなり、息子が私に言ってきた。

『あ、(ワイン)おかわりしてな。』

 

二人きりの最終日、息子がオッサンに思えた。

 

 

 

Trick or Trick !!


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娘がキャンプへ行ってしまった。

 

少し前に、仲良くしてくださっているご家族から

『秋のバカンス中の10月31日から三泊四日でキャンプに行くのだけど、もう一人分寝袋もあるから一虎さんちのお嬢さん一緒にいきませんか?』

と、有難いお誘いをいただいたのだ。

勿論、外遊び大好きな我が娘は二つ返事でお受けした。

 

出発前日、誘ってくださった御一家から翌日に控えたキャンプに関しメッセージが入った。

『明日はハロウィンなのでキャンプ場でハロウィンパーティーもあるようなので、よければ仮装の用意も持ってきてください。あと、明日のお昼ご飯はサンドイッチか何かを持ってきてもらえるよう、お願いします。』

と。

すぐに娘に

『ハロウィンパーティーするから仮装したかったら、何か持ってきてって~』

と伝えると、

『んんん……荷物増えるの嫌やしいいよー。』

との返事。

『!?』

正直、ハロウィンの当日にキャンプ場でキャンプして、みんなでハロウィンパーティーができるなんて、なんて楽しそうな企画だと、羨ましくてしょうがなかった母としては、仮装も何も持っていかないという彼女の意見は予想外だった。

『え?マスク(仮面)くらいもってったら?』

『え~いいよ~。』

『………。』

またしても納得のいかない反応だったのだが、このまま娘に進言しても意味をなさないだろうと、私は娘にそれ以上は何も言わなかった。

 

キャンプ当日の朝。

大人気もなければ諦めも悪い私は、朝からバタバタと出かける用意をしている娘の隙をつき、大きなスポーツバックにおばけマスクを詰め込んだ。「よしよし、してやったり。ニヤリ」な私はそれから直ぐに台所へ戻り、娘がキャンプへ持って行くおにぎり作りにとりかった。

夜ご飯にバーベキューをするだろうし、持っていく昼御飯は軽めでいいと聞いていたので、卵焼き入り鮭おにぎり(鮭フレークの混ざったご飯の真ん中に卵焼きを詰めて握った)とプチトマトくらいしか用意せず、あっという間に出来上がってしまった。そこでふと、バタバタと動く娘を見て、おかしいことに気づいた。

「今、あれだけ動いて荷物を詰め込んでるってことは、カバンの中のマスクに気づかれてるんじゃ、、、」

そう思った私は、またしても隙をついて娘のスポーツバックに近づいた。そして、ついさっきマスクを詰め込んだ辺りに手をいれた。なんと、マスクが手に触れない!すぐに元々マスクを入れてあったオモチャの引き出しの中を確認にいくと、さっきまでスポーツバックにいてたはずのマスクがそこにあった。

母のささやかな気遣い(イタズラ)を阻止しようとはいい度胸だと、私はさらにむきになった。コソッと再びマスクを手にした私はそのまま娘に見つからないように台所へ行った。さらに、携帯電話も準備してから、見つからないように

『二人とも、歯磨きした?あとちょっとで(家から)出るし、ママももうすぐしたら洗面所使いたいから、今、歯磨きしてしまって!』

と、台所に近づかないように娘&息子を上手く誘導。

そして、私は再び台所にて娘のおにぎり弁当作りへととりかかった…。

 

 

~母の愛情たっぷりハロウィン弁当の作り方~

 

①出来上がったおにぎりとプチトマトをそれぞれジップロックへ入れる。
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②風呂敷を用意する。

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③ ②の風呂敷の上にマスクを下に向けておく。
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④  ③のマスクに①の料理を詰める。f:id:i-chi-tora:20191101232115j:image

⑤マスクの布で丁寧に料理を隠す。f:id:i-chi-tora:20191101232130j:image

※反対側はこうなる。f:id:i-chi-tora:20191101232845j:image

⑥  ⑤をさらに風呂敷でつつみ完成。
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我ながら名案だった。

クック◯ッドの皆様にもびっくりされるくらいの新しいキャラ弁の仕上がりだと自負しつつ、歯磨きが終わった娘のもとへ、マスク弁当を持っていった。

『これ、お昼ご飯のおにぎり。プチトマトも入れといたから。』

『ああ、ありがとう。』

風呂敷の中がどうなっているかなど全く疑いもしない娘。笑いを堪えながら、しれーっと

『こっちの小さい方のカバンに入れとくから。』

と言い、娘のカバンの底に丁寧にマスク弁当を入れた。

『うん。そっちにいれといてくれていいよ。』

娘の返事に、私は完全勝利の安堵を覚えたのだった。

友人一家との待ち合わせの時間がせまり、娘と息子と私は上着を着て家を後にした。待ち合わせの場所は家から徒歩10分もしない所だった。その道すがら、おもむろに娘が、

『そういや、このカバンにつっこんでたマスク見つけたしな。オモチャのとこに戻しといたから。』

と、大きなスポーツバックに手をおきながら言ってきた。「この正直者め。」と思いながら、

『ええ、そうなん!?使うと思って折角いれといたのに~。』

と返すと、

『バレバレやったしな。』

と、母のことなどお見通しだという顔をしながら笑われた。

『あああ、ばれたかあ~。』

と残念がりながら、私はマスク弁当の入ってあるカバンに目をやっては、心の中で笑い転げていた。

 

そして、娘は友人一家と無事に合流し、マスク弁当を携えてキャンプへと向かっていったのである。お昼ご飯を食べる時、どれ程驚いてくれるだろうかと、私は楽しくて仕方がなかった。

 

あれから、およそ2日が経過するも娘から一切の連絡なし。一緒にいる方々からは写真やらが送られてくるというのに、携帯にメッセージを送るも無反応。既読すらつかない。息子いわく、

『どうせ、また飛行機モードやねんで。』

とのこと。

私としては、

『下手に反応したらママが調子のるだけやわ、、、。』

と呆れきっての音信不通ではないかとも思っている。

 

 

trick or treat ?

いえいえ、お菓子があれどもイタズラします。

はてさて、帰ってきて何と言われるかが楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

息子からのお土産

(つづき)

 

それから二日後の夜…

 

 

いつものように娘&息子が、今日は学校で○○くんと~した、とか、あの授業はどうだとか、夕食が出される直前の食卓にて、その日にあったことや学校の話をしていた。

料理をテーブルに並べ終わり、私も食卓につき夕食を始めた。するとすぐに、

『そうや!あのさ、今日の昼ご飯なんやったと思う!!?』

と、息子が尋ねてきた。

週2~3回ほどの頻度で出題される代わり映えのしないいつもの息子クイズ。

さらにそこで姉である娘も同じく、

『えーまたぁ?てゆーか、じゃあ、私の昼ご飯もなんやと思う?』

と、呆れるふりをしながらチャッカリ自分も被せて同じ質問を投げ掛けてきた。

 

この昼間の学校生活からの昼食クイズという、もはや定型化されつつある会話の流れは一体何歳までつづくんだろう?とひそかに思いながら、私は娘&息子の昼御飯は何だったんだろうと食事をしながら想像力を働かせた。

(昼御飯なあ………昼御飯……ひるごはん…!!!!!)

そこで私は大切なことを思い出し、息子に向かって叫んだ。

『ああ!!!!あんた(息子)!!フロマージュブラン持って帰ってきて、鞄に忘れてたやろ!!!』

と。さらに、

『あれは冷蔵庫に入れとかな、腐ってしまうねんで!リュックに入れといたらあかんよ!食べたらお腹壊すし、ママがもう捨てたで!!』

と続けて絶叫すると、息子が目を見開き何かを思い出したのか、

『ああ!!!』

と叫び、勢いよく席を立ち上がった。

『あぶない!!忘れてた!!』

というと、自分の学校のリュックの方へ走っていったと思うと、直ぐにそのリュックを持って食卓に戻ってきた。

『あんな、、、えっと、、、お土産あるねん!!!』

がさがさとテーブルの側で、学校リュックの横のポケットを漁る息子。何を探しているのだろうか?と、娘と二人で息子の動きを不可思議に観察していると、くるりとこちらを向き、ニヤっと息子が笑った。(正直、嫌な予感しかしなかった。)

『じゃじゃーん!!お土産!!!』

そう得意気にいいながら息子は、両手にかかえていた塊をテーブルの上にバサバサーっと撒き散らした。

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それは、大量のケチャップ。

マクドナルドのポテトを頼むと付けてくれるような3㎝×7㎝くらいの小さなサイズのケチャップがテーブルで山を作った。息子が両手で持てる分をとってきたようだった。

予想だにしないお土産の登場に、漫画のように食べていた物を吹き出しそうになり、むせかえる娘。

もはや言葉を無くす母(私)。

そんな二人を他所に、

『どう!!?いいやろ!!!?これでケチャップに困らへんで!?食堂にいっぱいあったから、持ってかえってきてん!お土産やで~!』

と、出張先から珍味名産品でも見つけてきた一家の主かのような、心底良いことをした顔をしている息子がいた。

連日持ち帰られる食品を前に唖然としていると、呼吸を落ち着け一頻り笑い終わった娘が、

『よかったやん、ママ。これでケチャップにはしばらく困らへん。なくなったらそれを足してもいいし、お弁当にも使える。少なくともケチャップ代は浮く!!』

と真面目な顔を装って、なんたる名案と弟を誉め出した。

母、おもわず絶叫。

サザエさんちの波平さんばりに雷を落とした。

『学校からこんなケチャップ持ってかえったらあかんやろっっっ!何考えてるんよっ!!!』

と。

『え?あかんの?』という、一体全体何故にそんなに駄目なのか全くわからないといった顔の息子に、これは不味いと

『学校で出される食べ物は学校で食べるためのもので、持ってかえったらあかんの。持って帰ってる間に腐ったりしたらお腹こわすし、他の人が『あー、ケチャップないー!』って困らはるかもしれんやん?ママだって、ケチャップ代くらいは財布にあるから大丈夫やしな!昼御飯は食べれる分をしっかり食べて帰ってきたらいいから!次やったらおやつ無しにするからなっ!!!』

と説明した。

『え~お土産にいいと思ってんけどなあ。』

となんとなく不服そうな息子。すると娘が、

『だいたい、こないだママがオムライス作ってるときに『あーケチャップが足りへんかも~ケチャップ薄めになる~』て、ギャーギャー言ってたからやろ。』

と、びっくり仰天な一言を放ってきた。

『え?………そやっけ?』

『うん。』『うん。そう。』

そういや、そんなことがあった気もする…と、気分は波平さんから一気にサザエさんへと転身。しかも、私のためを思ってかと思うと、内心、少し嬉しさもあった。

しかし、だからといって主張を曲げて敗退していい場面でもなかったので、

『そりゃ、ママは正直言うと助かるよ、これ。お弁当作ったらありがたく使わせてもらうつもりやで。でも!やっていいことではないからな。どうする?もし、昼御飯に学校で折角チキンナゲットが出たのにケチャップなかったら?そやのに、いっぱいケチャップもってる子いてたら?嫌じゃない??ママはケチャップなくても、その気になったらスーパー行って、おっきいケチャップ買うから大丈夫。お土産にしなくても大丈夫やから。わかった?』

と大事に使わせともらうという気持ちを足しつつ、もう一度念を押した。

『うん。うん。わかった。』と、息子は納得してくれたようだった。

しかし、その直後。

再び嬉々としながら、

『でもさあ、いいお土産やったやろ~??「おおっ!ケチャップ!!」って思ったん!』

と一言。

 

 

懲りているのかは、不明である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

要冷蔵 χ の来訪

フロマージュ  ブラン』と言う食べ物をご存じだろうか?

フロマージュ ブランという名を直訳すると『白いチーズ』という意味だ。フランスにおいてポピュラーな乳製品の一つで、どこのスーパーでも冷蔵デザートコーナーにヨーグルト等と共に並べられている。それはヨーグルトのようでいて、クリームチーズのようでいて、、、正直のところ普段口にしない私はよくわかっていない。チーズと名が入るくらいであるから分類上はチーズの一種であるだろうかと思っている程度しかフロマージュブランについての知識がないのだ。

冒頭から質問しておきながら我ながらなんたる曖昧な説明。しかし、当ブログは残念なことにおフランスグルメブログではなく一母のボヤキ日記。伝えたいのはフロマージュブランの素晴らしさではなく、その食べ物が乳製品であるということ、それのみなのだ。

曖昧なる食べ物χ=フロマージュブランは、ヨーグルトだろうがクリームチーズだろうが、チーズだろうが、とにもかくにも乳製品なのだ。そしてもちろん乳製品であるからして、冷蔵庫で保存しなければいけない。室温ではいけないのだ。要冷蔵である。『要!冷蔵!!』である!

 

その実態の曖昧な要!冷蔵!!食品が先日、片付けをしている時に我が家の中で見つかったのだ。もちろん、私は全く見に覚えがなく、娘が買ったわけでもなく、主人が買ったわけでもない。

小さな白いパッケージに『フロマージュブラン』と書かれたそれを見つけた時、私は凍りついた。何故なら見つけた場所が、息子の学校用リュックのサイドポケットの中だったからである。

掃除機をかけてる途中に放置してあった息子リュックをたまたま動かし、「あれ?何かおかしな形のものがはいっている?」と思え、ポケットを開けたのだ。するといたのだ。フロマージュブラン(要冷蔵)が。

自宅の中で一人でいたにも関わらず、思わず『え?これいつの?いつから?』と呟いた。いつかはわからないがとにかく学校の昼食で出たのを持って帰ってきていたのだろうと考えると落胆とともに沸々と沸きだしてくる息子への怒り。これはもはやこのままテーブルに置いておいて帰って来たら突きつけてきつく怒らねばと思え、ブツをテーブルに放置して片付けを続けた。

しかし、しばらくしてから私は息子が帰ってくる前にブツをゴミ箱へ捨てることにした。息子のことだから置いておいたらうっかり食べてしまう危険性がかなり高い、それはかなりデンジャーだと判断したからだ。怒ることは怒るがやはり安全第一をとることにしたのだ。

 

夕方になり、娘と息子が帰宅してから入れ違いで私が外出をした。出先で慌ただしく動き回ったお陰で、家につくと

『ふ~やれやれ~あ~お腹すいた~。』

といつもの調子になってしまっていた私は、すっかり昼間発見した要冷蔵χの存在を忘れていた。昼間一人であんなにも衝撃を受けワナワナしたものの、息子に負けず劣らず忘れっぽい幸せな脳を持った私はその日は終日、フロマージュブラン(要冷蔵)を思い出すことはなかった。

 

 

 

 

 

つづく