侵食される国語学習
今日の午後、食卓にて息子が日本語の勉強をしていた。
娘&息子はここフランスで生まれ、近所のフランス人子供達と同様にフランスの幼稚園小学校に通い育ってきたのだが、両親家族が日本人である故に何時なんどき日本に帰ることになるかわからないという考えと、日本にいる家族や友人との交流などを考慮して、日本語の勉強も時折するようにしているのだ。
娘に関しては、一昨年から日本語の勉強ができる公立中学に通えるようになったので、今となっては私が教材を用意して塾のように国語を教えるといったことはなくなったのだが、息子に関しては今現在どこかで特別に日本語を習っているわけでもないので、バカンス中や時間がある時に、私が日本の小学生の教材や教科書を元に日本の国語を教えているのだ。とはいえ、頭の中の8割が音楽でできてるような息子なので、本来なら今年度から日本では5年生なのだが、いまだ小学一、二年生の国語をやっているくらい、のんびりとしたペースでの勉強だ。
そんな息子が小学二年国語の勉強中
『ママ、これ、わからんねんけど。』
と、きいてきた。
『どこ?見せてみ?』
【問「つぎの文で、したことには◯を、
見たことには△を かきましょう。」
①( )きのう、林のなかで、
かぶと虫を つかまえました。】
マ『昨日さ、林に行った?』
息『??いや。行ってないやん。』
マ『行ってないやん?じゃあ、そんなことしてる人見た?』
息『えー見てないよ。』
マ『もしな、これ、林に行って、かぶと虫つかまえてたら◯って書くねん。で、もしそんな人を見たことがあったら△って書くねん。わかる?』
息『ああ!わかった!』
マ『じゃあ、②は?』
【②( )みずうみは大きくて、水がとてもきれいでした。】
マ『湖いったことあったけ?』
息子『ない。行ったことないし。見てもない。』
マ『じゃあ、どっちもかけへんよなー。③は…』
【③( )ぼくは、きょう、学校でにわとりにえさをやりました。】
マ『学校ににわとりいる?』
息子『いーへんよ!!やってないし!見てもない!!』
マ『よなー。④は…』
【④( )先生はせがたかくて、とてもふとっています。】
マ『これは!!?』
息『いてる!!見ただけじゃない!学校にいるいる!!◯やわ!!』
マ『よな!!じゃあ、どうなる?』
息『④だけが◯やわ!』
マ『そうやな。正解~。変な問題つくるよなー。どこの学校にもにわとりいるんじゃないのになー。』
と、ここでようやく私は自らの間違いに気づき、「あれ?もしかして勘違いしてる?」と思い、4つの問題を見直した。
マ『ごめん!これ、ママが間違ってたわ!「見たよ」って話と、「やったよ」って話に分けてねってことやわ!』
息子『?…ああああ!そっか!』
二人でした問題の勘違いに、なんてわかりにくい問題だと言いながら笑っていると
娘が【小学二年生作文練習ドリル】を片手にさらに大きく笑いながら駆け寄ってきた。
『ママ!すごいの見つけた!これ、私が大分前にやってたドリル!そっちの二年生のドリルのとこに一緒にあったんやけど、今見たら笑えるで!』
そう言いながら、どうやら私が添削を忘れていたような、そのページを見せつけてきた。
【①一すんぼうしは、おにをたいじして手に入れた「うち出のこづち」のおかげで、りっぱな青年になりました。あなたなら、どんなふうに へんしん したいですか。
娘答「私は、へんしんしたくありません。自分で、この体をはたらかせ、もしなにかになりたいのなら、自分でがんばります。」
②絵の中にイメージ(そうぞう)で入りましょう。イメージする前に目をとじ、大きな こきゅうを 五~六回すると、一すんぼうしのせかいへ行けます。イメージの中で見たこと聞いたことについて、書きましょう。
娘答「いけてません」】
娘曰く
『ていうか、うち出のこづち、変身アイテムじゃなくて、願い事きいてくれるアイテムやしな。』
性格が国語学習を難しくさせている気がしてならない……
(×3人)
『助けてドラ◯も~ん!』
『ママァ。ドラえもんの道具にさ、人生やり直し機ってあるんやけどさ、もしそれで昔の自分に戻れたら、ママやったらいつの頃に戻りたい?』
台所で夕食のパスタを湯がきながら、野菜を切っていると食卓のほうから娘が尋ねてきた。
『えー。わからん。いつに戻りたいっていわれてもなあ、いつでも面白いっちゃ面白かったけどなあ。それさあ、昔に戻ったら今も変わってしまうんやろ?』
『そりゃそうやん。』
『じゃあ、いいわ。別に戻らんでいい。むしろお化けみたいに昔の自分とこに行って『もっと勉強しろよ』とか『資格とれ』とか『お金貯めとき』とかをちょこちょこ耳打ちするくらいならしたいかなー。』
『えー。そんなもんなん?』
『そんなもんでしょ。今べつに死にそうなほど困ってるんでもないし、今がなかったことになる方がいやじゃない?』
『んん。まあ、たしかにそうかなー。』
『今ママ、結構いいこと言ってる気がするー。思わん?』
『ふーん……』
パスタを一本お箸で掬い上げてかじると、丁度ゆいい具合にゆで上がっていたので、流しの上で左手でザルを持ち、パスタをザルに開けようとした。少し手元がくるい、ゆで上がったパスタが勢いよくザルに流れ込んできたと同時にパスタのゆで汁がザルを持っていた左手にぱしゃっとかかった。
『あっつーー!!!!今!今っ!!今すぐっ!!ママ今すぐその機械ほしい!!2分前!戻りたいっ!!』
『え?何してるん?』
『パスタのお湯かかったーー!!!』
食卓から「またやらかしたか…」という空気を放つ娘を感じながら、ゆで上がったパスタを放置し、水道水で左手を冷やした。
勉強、資格、貯金より、そそっかしさをどうにかしろと、過去の自分に言いに行きたくなった。
おあずけ
はい、再びバカンス開始~。
10年以上フランスに住んでいても、やはりこのバカンスの多さにだけはなかなか慣れない。3月初旬に2週間のバカンスが終わり学校のある日常へと戻ったかと思ったら明日からまた2週間の春休みである。
この1ヶ月は役所関係の書類作業に追われて、紙紙紙紙紙紙紙紙…紙に囲まれ過ごし、もう本当にうんざりしきっていて、全ての作業を終わらせたら、自分へのご褒美としてバカンスに入る前に一人でこっそり自宅生牡蠣ランチを楽しもうと心に決めていたのだ。それなのに、何を思ったのか昨日の朝マルシェへ買い物に行き、
「…でも子供達も何かとがんばってたし、ママだけ一人でご馳走もなあ…せっかくやしサーモンのお寿司でも作って三人で食べよかな…」
等と思ってしまい、牡蠣を買いに行くのをやめ魚屋さんでサーモンを買って帰ってきてしまったのだ。
冷えた白ワインと生牡蠣を一人でこっそり楽しむという最高の会を心の底から楽しみにしていたというのに、我ながらよくこんな風に予定を変えたなと感心しながら、買わなかった生牡蠣の代わりに何を昼御飯に食べようかと台所の引き出しや冷蔵庫を物色した。しかし結局、色々調理するのも面倒だとインスタントラーメンを昼御飯に食べることにしたのだ。
小さなお鍋にお水を入れてガスコンロのつまみを回した。しかし、カチッカチッと乾いた音がするだけで火がつかない。「あれ?」と思い、何度つまみを回すも火がつかない。『え~なんなんよ~』と呟いた瞬間、マンション一階にはってあった【ガス菅工事のお知らせ】の紙を思い出した。そういや、ガス管工事につき丸一日ガスが使えなくなる日があるって書いてあったなと「あー今日やったかー…」と実感し、昼御飯のインスタントラーメンをあきらめた。生牡蠣を諦め、ラーメンすら諦め、こんな昼御飯になるはずじゃなかったのに…と思いながら食パンを食べた。
昼御飯の食パンを食べながらも、すでに私の頭は夜ご飯でいっぱいだった。ガスが使えないとなると夜ご飯はどうなるのだと。我が家では随分前から、米しか炊けないような家電に用はないという考えのもと、米を土鍋で炊いているのだ。せっかくの生サーモンがあるのに、米がなければ寿司にはできない。「こんなはずじゃ、、、」と舌打ちしたくなるような思いを抱きながら生サーモンを無駄にすることなく生かせる道を考えた。
はい。
じゃじゃーん。
サーモンのタルタル白ワインセット
白ワインを注ぎながら、さあ、今から夜ご飯だ!と子供達に声をかけていると、トントンっとドアをノックする音がした。ドアを開けると二人のムッシュがたっていた。
『ガスの工事をしててね、ガスがちゃんと開通してるか確認したいのですが。』
とのこと。
食卓には、注いだばかりの白ワインとサーモンタルタル、バゲット、バターが我々三人を待っている状態だった。
ガスメーターを見たり、カチカチとガスコンロの様子を確認したり、書類を確認してサイン…長かった。
『もう、今からガス使えるからね。では、よい夜を。』
と言って、ようやくムッシュ達は下の階へと降りていった。
急いで食卓につき、
『よし!やっと食べれる!いただきまーす!!』
と三人でやっとありつけた夕食を食べ出した。
『なんで、このタイミングでくるかなー。ただでさえお寿司お預けでさ。ギリギリでまたお預けって、どうなんよ。』
と、ありつけた白ワインをぐびぐび飲みながらぼやくと娘が一言
『絶対それ言うとおもった。笑』
と言ってきた。
娘の理解が嬉しくも、実は一人で昼間に牡蠣会を企んでいたのだが…というプロローグは非難轟々必死になるなと思えたので、子供達には伏せておいた。
ぐびぐび飲み過ぎたため、
白ワインの写真は撮りそこねました。
くつろぎ空間
ようやく暖かい春らしい日がやってきた。
気温20度前後となると我が家は冬眠から目覚めた動物かのように隙あらば公園へ行き、太陽を楽しむ。ご飯を食べたり、走り回ったり、ごろごろしたり、昼寝したりと、日焼けの三文字を頭から消去して、これでもかってくらい芝生の上でくつろいで過ごす。
水曜の午後は娘も息子も午前中の授業だけなので午後一時半には帰ってくる。息子は学校で昼食をとってから帰ってくるのだが、娘は昼食をとらずにお腹を減らして帰ってくるので、彼女の帰宅後すぐに二人で一緒に昼食を食べる。
しかし、昨日のお昼は「とても暖かく、いいお天気になる」という情報を手に入れたため急遽、近所に住む友人とその娘さん(7才)を誘って、娘の帰宅後すぐに皆で近くにある大きな公園へとサンドイッチとおやつをもって向かった。
週末の午後にいくルーブル美術館の近くの公園を遠征先とすれば、そこはもはやホームグラウンドとでもいえるぐらい我が家御用達の公園で、たどり着くや否や、娘、息子と友人の一人娘エリザベス(仮)はここぞとばかりに遊び回った。
あまりの楽しげな子供達の様子に、カメラを忘れたことを悔やんだ。だだっ広い公園内で動き回る子供達を携帯電話を使って写真に収めるのは至難の業だと早々にあきらめ、しょうがないから自分のくつろいでる様でも撮ってみた。
ゴロゴロとしながら友人と二人でくだらない話をしていると時折、エリザベス(仮)が
『お花屋さーん』
と、どこからともなくお花を摘んで届けに来てくれた。
『めちゃくちゃかわいいぃぃぃ!ありがとう~!』
と日頃から愛孫のように溺愛してるエリザベス(仮)にお礼を言いながら、そういや、うちの娘も小さい時に全く同じことをしてくれたなと思い出し、
『あの頃はもっと小さくてかわいかったのになあ…』
等と友人にぼやきながら笑いあった。
しばらくすると子供達も疲れてきたのか走り回って遊ぶことをやめていて
『もう、あれやな。ここ家やわ。』
と思わずつぶやいてしまうくらい、芝生の上にだらける三人がいた。
すっかり夕方になったし、もういい加減疲れたのだろうと本当の家に帰ろうと提案し帰路に着いた。
帰る途中にかわいい鴨の親子連れに遭遇し、おもわず
『こんなかわいくついてきてくれるのは今だけやでー』
と言ってしまった。
大きくなってもかわいいんですけどね。
おまけ写真(8年前)息子サングラスが反対……
行先は
息子が遠足へ行った。
他のフランスの小学校がどうかはよくわからないので一概に言えないのだが、息子が通っている小学校を見ていると、フランスの公立小学校の遠足というのはクラス単位で企画されているように思う。クラス単位で企画というと、クラスで遠足日程や順路をずらして各クラス別々となり遠足へと向かうくらいのものだろうと思われるかもしれないが、そうではない。なんと各クラスによって、行先、回数、時期、テーマ、全てにおいて異なるのだ。
どうしてそんなことになるのかというと、どうやら最初の発案の時点から担任の先生に一任されているようなのだ。例えば勉強大好きお外嫌いなインドア派先生のクラスの場合、一切の遠足を企画されず、一年中遠足にいかないで終わるといったこともある。逆に、勉強ぼちぼちお外大好きアウトドア派の先生のクラスは一年の間に何回遠足行ったら気が済むんだ!?ってくらい遠足へ行ったり、二週間にもおよぶヨット研修や林間学校なども企画してくれたりする。不公平すぎてよく問題にならないなと思うのだが、どうやらこれがフランス式のようで、特に保護者が怒ったりと問題が起こったこともなく、担任の先生の違いで子供たちの年間スケジュールが変わるのはとても普通のことなのだ。
そんなちょっと当たりはずれ感のクラスからなるフランスの小学校に通う息子の現担任の先生は、学校一の超アウトドア派で暇さえあれば遠足に行くタイプだ。
数日前の連絡帳に「もうすぐ遠足にいきます。行先は…」と、数件の遠足の行先と日時が書かれていた。その一件に『フィルハーモニーパリ(パリ管弦楽団コンサートホール)でオペラ鑑賞』という大人ですら羨ましくなる内容の遠足があったのだ。大の音楽好きコンサート好きの息子からすると聖地とも言える場所への遠足ということで、もちろん息子は舞い上がり
と遠足までの数日間、嬉しそうに何度も連呼していた。
そして遠足当日は、もちろん朝から浮かれて浮かれて学校へと向かっていった。
「今頃オペラなんか見てるのかーいいなーフランスの小学生ー」
などと思いながら日中を過ごしていた私は、夕方になり息子が帰ってきてすぐに
『どうやった?楽しかった!?』
と聞いてみた。すると
『楽しかったよ!でも今日は音楽聞くのじゃなくて建物見ててん!』
とのことだった。てっきりオペラ公演は急遽中止にでもなり、館内見学にでもなったのかと
ママ(私)『そうなん?オペラなくなったんかな?それは残念やったね。でもあの建物めちゃくちゃかっこよくてママはすごい好きやから、建物見学にママも行きたかったなー。』
息子『すごい楽しかったよ!めっちゃ建物見てたん!』
息子の嬉々とする様子をみて、音楽がなくとも楽しめたようでそれは何よりだったなと思えた。
夜になり、珍しく休日の主人とともに四人で夕食をとっていると息子が
『今日の遠足はなー(地下鉄)8番線と6番線で行ってんで。10番線と6番線でもよかったのにな。その方が早いし乗り換え近いと思うのに。』
とつぶやいた。その瞬間、同時に他の三人の動きが止まった。
主人&私&娘『んんん?』『なんでよ?』
『6番?』『8から6?』
『6じゃないやろ?』
息子『え?なんで?8に乗って、6のトロカデロで降りたで?』
娘『なんでよ!おかしいやん!コンサートのとこって駅そこじゃないやん!もっと遠くやん!』
マ『トロカデロにフィルハーモニーはないよ。全然違うとこやで。どこいったん?』
主人『トロカデロで降りて広場あった?エッフェル塔も大きく見えた?でもフィルハーモニーもみたん?』
息子『うん見たよ。トロカデロで降りたよ。広場もエッフェル塔も前にあったし、フィルハーモニーも全部見た。』
聞けども聞けども息子の発言内容がかみ合わなく、息子以外の三人で協議となった。弱電車オタクな息子が自分の降りた駅を間違えているというのは考えられなく、供述的に息子の行った先は間違いなくフィルハーモニーパリがある駅ではないトロカデロという全く違う場所の駅だという結論に至ったのだが、ではなぜ息子はフィルハーモニーを見たと言ってるのかという謎が残った。
主人『駅についてどっちに行った?階段上がってからどうした?右に行った?左?』
息子『左』
主人『そこからどうした?』
息子『まっすぐ行って広場の向こうの建物にいったよ。』
マ『ああああ!わかった!そこ建築博物館のとこやん!!上の階に模型あるわ!!』
息子『?』
マ『真っ赤な壁の部屋があって、これぐらいの大きさのフィルハーモニーパリの建物が机においてあったやろ?』
息子『そうそう!!フィルハーモニー全部ぐるって見れたで!!!』
娘『あああ…。』
主人『……なるほどな。』
どうやら、遠足内容が建築博物館の見学という事実から『フィルハーモニーパリ(模型)見学』へと息子の脳内にて都合よくクローズアップ変換されていた模様。
息子の連日のはしゃぎ様と遠足日程の多さから、一家全員で息子の遠足先勘違いを起こしていた上、息子のご都合変換能力により危うく事実を見失うところであった。
連絡帳を確認したところ、フィルハーモニーパリへは5月初旬に行くとのこと。
次は間違えないよう、どこかにメモして張っておくとしよう。
公園にて(娘編)
いつもなら娘の音楽教室のレッスンの間に息子と二人で公園へいってお昼ご飯をたべるのだが、一昨日は珍しく息子がレッスンの間に娘と二人で公園へ行った。
お天気がよかったものの気温は10度ほどと低く、薄い春用のジャケットを着ていた娘に何度となく寒くはないのかと尋ねたが、彼女は全く平気な様子で全然寒くないと一人楽しそうにはしゃぎならが歩いていた。
いつも息子とお昼ご飯をたべる場所へと行き、腰をおろして作ってきたサンドイッチを食べた。
昼寝こそしなかったものの、
走り回り
走り回り
走り回り
のぼって
進んで
ぐいぐい
ぐいぐい先に行く。
姉弟の公園での行動が酷似しすぎて既視感大。
週末の公園
うちの子達が犬のように思えてならない。
過去記事
公園にて(息子編)
受けとめてとは言えないけども
土曜日のお昼前は、いつも息子と二人で音楽教室へと向かう。娘は午前中に学校があり、一度家に帰って荷物を置いていくという時間もないので、彼女は学校からそのまま音楽教室へと一人で向かう。代わりに私が娘の楽器や譜面台等のレッスンの用意をもち、さらに三人分のお昼ご飯をもっていき、レッスンが始まる前に音楽教室前で合流するようにしているのだ。
今日もいつもの土曜日と同じように息子と二人で音楽教室へ向かおうと家を出た。愛用の大きな鞄に楽譜、譜面台2つ、携帯、財布、ペットボトルの水、昼御飯のサンドイッチをつめ、背中に娘の楽器を背負っていた。
急がないと間に合わないと、慌てながら家のドアに鍵をかけ、行きしなに出していこうとドアの横に置いていたゴミの入った袋を手にとった。目の前の階段を2、3歩降りてすぐに「あっ!」と思った。
時既に遅し、世界がスローモーションへと変わった。
『ひややぁぁぁぁぁぁぁっ!!』
ガシャン!ガシャン!
バタバタバタバタ!バサッ!バサッ!
ダダンッ!!
母(私)、階段でまさかの転倒。
悲鳴と騒音で下の階に住んでいるお姉さんが飛び出てきた。
『マダム!!!なに!?大丈夫!!!?』
ゴミ袋、譜面台2本、楽譜や携帯、鞄の中の諸々を階段にぶちまけ、前傾姿勢で階段の下方向に手をついてへたる私。あまりの衝撃に動揺した私は、そんなおかしな体制をろくにもとに戻せないまま
『大丈夫!ありがとう!大したことないから!うるさくしてごめんなさい!!』
と、さも平気そうにお姉さんに返事をした。
体制と言葉があまりに矛盾してたせいかオロオロしながらお姉さんが心配してくれ、これは不味いと体制を建て直し、本当に大丈夫だとお礼を伝えると、心配しながらも彼女は自室へと戻っていった。
微妙に足やら手やらが痛いなと思いながら散らかした荷物を集めていると
『ママ大丈夫~?』
と、さっきまでお姉さんがいた踊場のさらに下から息子が現れた。
『なんとか大丈夫~。急がなやばいな、遅れるわ。』
と言いながら、再び鞄と楽器とゴミ袋を手にした。急がないとと思いながらも動揺が拭いきれず、やたらとゆっくり慎重に階段を降りていった。中庭にある大きなゴミ箱に持っていたゴミ袋を放り投げ、アパートを後にした。
外は風が少し冷たかったものの天気もよくて、歩いていると少しずつ階段転倒の動揺は薄れていった。おもむろに、
『僕、ママは今日階段から落ちたって皆に教えてあげるな。』
と息子がいいだした。
『いや、何もいいことじゃないし教えんでいいから。』
と返事をするも、
『月曜日に先生にも言っとくし、友達にも言っとくから。』
とのこと。なぜにわざわざ報告するのかと、必須連絡事項でもないだろうよと考えていると、ふと落下時のスローモーション映像を思い出した。
落ちると思った瞬間、背中に背負ってるバイオリンは守らねばと焦りながら落ちていってた私は、一つ下の踊場にいてた息子が視界に入ったのだ。そして踊場にいた息子は、前のめりに倒れていきそうな母を見て、一目散にさらに階下へと逃げていっていた。
『なあ。ママが階段でこけた時さ、下に逃げたよな?』
と息子にきいてみると、
『うん。下におりたよ。』
と、サラッと悪びれることもなく言われたので
『ちょっとさ、「ああ!ママがっ!」って、助けようとかは思わんかったん?』
ときいてみた。すると、
『一緒に落ちるん嫌やったし。僕もチェロもってたから。』
との返事。
息子の二次災害回避能力について、適切な動きだと褒めたものの
息子脳内【ママ<チェロ】
という構図が拭い切れないのは普段の彼の生活スタイルのせいであり、気のせいだと思うしかない。
一日中、会う人会う人に
『ママ階段から落ちてんで~』
と吹聴されたあげく
軽く捻ったとばかり思っていた左足がどんどん痛くなっていき、家に帰ると腫れていた。
もう少し平和な日記を書きたいです。