i-chi-tora’s ura-diary 一虎裏日記

"王様の耳はロバの耳"よろしく、徒然なるままに憎らしくも可愛い娘&息子の愚行を愛をもって暴露していくことを中心とする裏日記

恐怖の地下鉄

日曜日の朝は決まっていつも慌ただしい。

お昼前から子供たちの通っている音楽教室のレッスンがあるからだ。

 

昨日も朝から娘&息子&私の3人はレッスンへ出かけるため、のらりくらりと出かける用意をした。のらりくらりした結果、家を出るころには大慌てとなり、遅刻を恐れて地下鉄の駅まで小走りで急いだ。改札を通り大慌てで階段を降りると、電車がもう間もなく来るところだった。いつもは最前列の車両の一番前のドアから電車に乗りたがる息子。電車が好きな彼は車掌室の扉のガラス部分に張り付き、車掌さんの背後から電車が進んでいく様を眺めるのが趣味なのだ。しかし、昨日は残念なことに、車両にも人が多く、ホームにも我々と同じように電車を待っている人が多かったので電車の最前線には乗りこめず、車両こそ一番前だったものの、乗り込んだ扉はいつもより一つだけ後ろ側だった。

 

車両内で、進行状況を見ることもできず若干不貞くされてる息子と遅刻せずに済みそうだと安堵している娘と急いで駅まで来たことでへとへとになっていた私は、入ったドアのすぐ前の広くなっているところに立ち、無事にレッスンに間に合いそうだと三人揃ってほっとしていた。順番に停車駅を一つずついつものように停車しつつ地下鉄の中を進んでいった。五つ目の停車駅を出発してすぐさま、電車が急に減速した。急ブレーキとまではいかなかったが明らかに一気にスピードが落ち、さらにどんどん減速していった。フランスの地下鉄では、急に減速したり一旦停止したり、電気が切れたりといったことはたまにあることなので、またか…急いでる時に限って…などと思っていた。しかし、いつもなら一旦停止なり、電気が落ちるなりアクションがシンプルで、親切な車掌さんだと『しばらくお待ちください』とアナウンスがあったりするものだが、おかしいくらいに減速が続いた。もはや徒歩と変わらないんじゃないかと思うくらいの減速に加え、ブレーキをかけているのか、車輪あたりからキキキキッキキキキッと何度も不快な甲高い音がなっていた。さらにしばらくすると無理な低スピードに車両がギシギシいいだし、さすがに、その状況が少し怖くなってきた私は周りの乗客の様子を見た。周りのフランス人は若干不安な顔をしだしている人もいたが、むしろ減速に対して不満を抱いていそうな人が多かった。少し前から続いているギシギシと大きく軋む車両の音が大きくなるに加え、さらにクラクションがなりだした。我々三人の位置よりさらに前方の車掌室あたりからか、『プーーーー!プーーーー!プーー!プーー!プーー!!プーーーーー!……』と激しくなり響いた。私の横にいたビビりの息子は私の近くに寄ってき不安そうに車両の前方を気にした。図太い神経の娘は、どうせ大したことじゃないだろうよといった表情で『また止まったりするんやろ』などと言っていた。そんな子供二人を連れた母である私は、内心死ぬほど怖がっていた。

『まさか人がいてたり?』

『自殺志願者を説得しながら進んでる?』

『黄色いベストの残党?』

『まさか、テロ!!?』

『前から電車きてるとかはやめて!』

『とりあえず電車を止めてくれ』

『とゆうかバックでさっきの駅に戻ろうよ!』

とかなんとか、ひたすらに頭の中から湧き出てくる恐ろしい可能性と戦っていた。

ふと横の座席に座っていた小学生高学年くらいの女の子とそのお母さんの会話が耳に入ってきた。

母(私ではない)『こわいの?』

娘(うちの子にあらず)『ふふ、だいじょうぶよ。』

母『本当?怖いんじゃないの?でも、大丈夫よ。大したことはないわ。』

娘『ふふ。うん、何もないわよね。』

 

と、美しき親子姿を見事に表現したかのような互いを思いやる優しい会話だった。しかし、この残念な母(私)はそれを聞きながら、

『大したことないと!!?この状況で?マジで??これだけクラクション鳴らしてて???』

と、失礼極まりないツッコミを胸中に抱いていた。私が見ていたのに気づいてか、その母親がこちらを向き、目が合った。彼女は私ににこっと微笑んでくれた。私もそれに答え、乾ききっていたかもしれない笑顔をかえした。

同じ母という立場でいながら、歴然たる母としての余裕の違いを感じ、見習わねばと、ここでへたれてる場合ではないと思えてきた私は、変わらず鳴り響くクラクションの中、子供たちに強がってみせた。

『大丈夫やって。鳩でも地下鉄に入ってしまってるんじゃない?犬とかさ??ネズミじゃここまではせーへんやろー。』

と、湧き出る壮絶不安な可能性に対抗し、必死で具体的ポジティブ案をだしてみた。

娘『…鳩でも…こんなんするやろか?…こんなとこに、犬?』

息子『………』

母の動揺を察知してかソフトに返してくれた娘とコメントのしようがないといった表情の息子。そんな二人に対し、必死で鳩案は成り立つはずだと説いたのだが、

娘『でも、進んでるんやし大丈夫じゃない?もうすぐ次の駅に着くって。』

と、逆にカバーされた。

そうこうしているうちに、クラクションが止み少しスピードが戻り、予定より十分以上かかり次の停車駅についた。

 

6つ目の停車駅に着いてからの電車は減速や遅延に関するアナウンスもないまま、いつものスピードで走りだした。私は気持ちの悪い不安を抱きつつ、何だったのだあれは?と車内で子供たちと議論した。議論せども結局わからないままだし、嫌な怖い気持ちを抱いておきたくはないから、三人で『鳩が何羽も線路に入り込んでいた。』とゆうことにしようと決まった。いつものように最前線にへばりついていなかったために、電車前方を見ずにすんだと自分たちの幸運を噛み締めた。

それからいくつかの停車駅を経て、結局10数分遅れたものの目的の駅に到着した。鳴り止まないクラクションを聞き続け不安がいっぱいであった私は、もはやレッスンの遅刻などどうでもよくなっていて、とりあえず無事に電車から降りれたことに安堵した。三人で、無事つけてよかったなどと言いながら地下鉄の階段を上がり改札のある場所へでた。ふと振り返り改札機の上の電光掲示板を見ると、さっきクラクションを聞きながら減速して通ってきた区間が通行止めとなっており、後続の電車は不通と表示されていた。ぞっとした。すぐ横で同じ画面を見ていた娘が

『〇〇(6つ目の駅)着いたとき、向かいに止まってた電車の人ら、みんな電車から降ろされてたもんな……』

と呟いた。

『鳩じゃないな……。』

『ない……。』

『でも、轢いてもないよな…さすがにそれじゃ下ろされてるやろ…。』

『よな……。』

原因がはっきりとはわからないものの鳩ではなさそうだということがわかり、ポジティブ案が一つ消された瞬間だった。

誰にも何もなかったと祈りつつ、慌てて三人揃って音楽教室へ逃げて行った。

 

 

 

 

※本日、ツイッターで確認したところ人身事故ではなかったとのこと。よかった!!!

 

 

 

 

 

 

 

幼き日のロマン

義兄が遊びに来てくれた。

 

主人の兄である彼は、数カ月前に勃発した離婚問題で傷心旅行にパリに来るとばかり思っていたのだが、どうやらそれは私の取り越し苦労であったようだ。彼は思った以上に元気にしており、聞くところによると、奥さん(アメリカ人)に(アメリカの実家に)家出をされてから仕事を休職し、数週間タイへ一人旅に出かけたらしい。そして、タイでは愉快な旅行客やタイの人に出会いながら、ひたすら大好きなタイ料理を食べて過ごしたとのこと。さらには今回の渡仏は少なからず仕事の関係でもあったらしく、そのくせこちらに到着して暫くしてからすぐに奥さんに会いにアメリカまで行き、ついでにちゃっかりカジノにも寄ってきたらしい。

『シャカリキ元気やん。』

これが彼に会って、今日までの経緯を聞いた後の私の心境であった。取り越し苦労ではあったものの、相変わらずな彼の様子を見れて安心したのも事実だった。

私、主人、義兄は少し似ていて、三人とも共通して『ちょっとそこまで行ってくる。』の『ちょっと』の範囲が若干広いように思う。残念なことに三人ともけしてお金持ちではないのだが、にも拘らず我々は少しの時間とあぶく銭を手にすると、あっちの国へこっちの国へといってしまう。学校から帰ってすぐにお小遣いをもって外に出て行ってしまう小学生とさほど変わらないかのような三人なのである。

今日は残念なことに主人は仕事で不在だったのだが、うちの子供たちとも遊びたいからと学校がない今日、そんな彼はやってきてくれたのだ。義兄にとって初めての渡仏だったのだが、住所を見ながら迷うことなく我が家に来た彼は、

『ほい、これ。』

と、日本のお土産でも、先日行ったアメリカのお土産でもなく、うちの近所のスーパーで買ったビールとおやつとコーラを私にくれた。

さすが兄ちゃん…もはや現地人…

と思えてしまった手土産を受け取りながら変わらぬ彼との再会を喜んだ。

再会を喜んだのは似たもの同士の大人だけでなく、彼のことが大好きな娘&息子もだった。狭い我が家で四人でそれぞれの近況を伝えつつひとしきり再会を喜び合ったあと、今日は何をするかと考えた。

彼方へうろうろ此方へうろうろ行くくせに、観光スポットをくまなく調べ、網羅するような旅行をしないマイペースな大人二人+娘&息子。おまけに外は雨なうえ大規模デモのおかげで交通機関がかなり閉鎖されていた。そんなメンツと状況で大した案も思い浮かぶはずもなく、結局、息子の提案から家でニンテンドースイッチをすることになった。

私は子供たちとたまにやったりしていたので、ある程度はいろいろ知っていたのだが義兄はスイッチは初めてとのことで、子供たちが持ってるソフトの説明を最初からしてくれた。私も詳しくわかっていなかったので、一緒にふむふむと聞いていると

『あとは、この昔あったゲームもできるみたいやで』

 

と、コントローラーを触りながらテレビ画面を指し息子が言った。すぐさま

兄&私『ファミコンやん!!』

   『ああ、ドクターマリオ!!』

   『スーパーマリオも!!』

   『ゼルダもある!!』

   『なつかし~!!』『平ぺったい画面~!!』

 

   『ああ!!!マリオ3!!!

 

と久しぶりに目にした懐かしのゲームに兄&私は盛り上がり、得意なスプラトゥーンをやりたがる娘と、これまた己の得意なマリオカートをやりたがる息子を差し置いて、大人二人で

『ちょっとだけ!!』

と嘆願し、懐かしのマリオ3をやりだした。

あまりの懐かしさに浮かれる兄&私。

『あそこを叩くとハテナがでる!』とか

『そこは上に飛んで行ったら1UPキノコがもらえる!!』とか

『そのカメはそっちに飛ばしたらあかんやん!!』とか

大人気ないを通り越し大人でなくなっていた二人。

そんな二人が楽しむ見たこともない平ぺったい絵のゲームを大人のように上手くやりたがる娘がいた。最初の数回こそ私と兄が連続でやったのだが、途中からは大人が一回やると娘が三回やるといった理不尽な法則でコントローラーがまわされたあげく、初心者の娘が動かすたどたどしさ全開のマリオがもどかしくてしょうがなかった。

ゲームをしながら義兄と、『最近のゲームは攻略本もあるし、本どころかネットで簡単に攻略方法を調べられ、何なら動画で中継まで見れるよな。』『プレイ内容をセーブできるし、ゲームのクリアに対する感動具合が全然違うよな。』といったことを話しだした。さらに二人して、

『うちらが初代ファミコンでマリオ3を1UPキノコを大事にしながらやってた頃とはちがうな。』

『ああ、たしかに!セーブできへんから、こっそり電源つけっぱなしで学校行って帰ってきて、続きやろと思ったら線抜かれてた時のあの残念具合とかないよな!』

『ああ!わかる!つけてたはずが!ってやつ!』

『あと、オカンの掃除機があたって途中で画面固まったり!』

『ああ!!めちゃわかる!!!ゲームの横で片付けされたら怖かった!』

『あんなんが8面までやらなあかんかってんもんなあ。』

『マリオのクリアとか、ある種、子供のロマンやったよな。』

『よな!!わかる!!裏技駆使してやったりしたもんな』

『ってか、クリアできた記憶ない。』

『え、どうやったけ………』

 

と、熱くファミコンに対するロマンを語り合いすっかり気分がマリオ3を進めていくモードになっていた。

しかし我が家の『ブレない男』と定評の息子。そんな我々の横で念仏のように『マリオカートがいいマリオカートがいい』をひたすらに連呼。

なんとか言いくるめつつ、初心者の娘に主導権を握られたままなんとか2面まで辿り着いたものの、結局、これ以上は息子もかわいそうだと判断し、私と兄は泣く泣くマリオ3のENDを選択した。

 

マリオカートを始めるまでの間

兄『俺、これ日本返ったら買ってしまいそう…』とつぶやくので

私『え?私、今日の夜やってしまいそうやで…』とかえした。


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ロマンよ再び。

 

サムの有名なピザ

10年以上たった今でも忘れられないピザ屋がある。

 

ひたすらまっすぐに進む二ューヨークの地下鉄6番線に乗りマンハッタンを南から北上すると、北へ行くほどに高級住宅地から離れ車内の客層が変わっていく。高級住宅地を通り過ぎ一路北へと向かっていくそんな車両の中、アジア人は私一人。いつものこととはいえ、やはり若干目立つか?と思いながら、ちらちらと見られる視線を無視し、一人ドアの前で真っ暗な窓の奥を眺めていた。

『116th street』

電車内の停車駅のアナウンスが聞こえ、目的地に着いた私はホッとしたと同時にすぐさま電車を降りた。嗅ぎなれたよくわからない異臭を感じながら、足早に階段を上がるといつもと変わらない長蛇の列が、交差点から私のいてる地下鉄の入り口横まで伸びていた。

ニューヨークのイーストハーレム地区116番通りの交差点の角にその店はあった。そのすぐ近くのアパートに住んでいた私は、その長い列に何の意味もないことを知っていたので、迷うことなく最後尾に並んだ。列の長さとは裏腹にあれよあれよと数メートル進み、あっという間に店内へ入れた。お世辞にも立派だとは言い難いプレハブのような外装をしている小さなピザ屋に入ると、私の前に並んでいた3、4人の客が店の人間に注文を伝えていた。

狭い店内。店のあちこちに積まれているピザの箱。3人程しか立てない唯一のカウンターテーブルにまでピザの箱が天井付近までつまれていた。店員さんの立っているレジカウンター奥の棚は、これまた所狭しと醗酵させたピザの生地が100以上の丸いタッパに入れられ文字通り山のように積まれていた。そんな中、レジカウンターにはプロレスラーばりに体格のいい黒人さん、同じく体格のいい入れ墨だらけの髭のある白人のおじさん、さらによく似た風貌のお兄さんまでが立っている。

『いつ来ても、客の量も箱の量も店員の体格も全部無理やり押し込んでるよう様にしか見えないな…』見渡しながらそんな風に考えていた。

『Hi !!』

と、声をかけられ、はっとした。

私がいつもと同じように挨拶をし、アンチョビピザを一切れ頼むと、

『相変わらずの英語だな!』と私のつたない英語の発音に店のおじさんが笑いながら言ってきた。彼は近くにおいてあった卵を一つ掲げ私に見せた。

 

おじさん『いいか?これは Egg だ!!言ってみろ!』

私『 Egg?』

おじさん『 Egg!!』

私『 Egg!』

おじさん『 THIS  IS  AN  EGG!!』

私『 THIS  IS  AN  EGG!!』

おじさん『よし!OKだ!!』

 

なんのこっちゃら!と思いつつ『Thanks!』

とお礼を言う頃には、まわりの人たち皆から生暖かい目で笑われながら見守られていた。

 

私に英会話を教えた後、彼は潰れたボールのような形をしたピザ生地を手に取り素早くグルグルっと回した。『かっこいいだろう?』と言わんばかりに得意げなおじさんは、とてもかっこよかったのだけれども、どう見ても海賊にしか見えなかった。

それから彼は乱暴にトマトソースを生地に乗せたかと思うと、スプーンで素早く丁寧にそれらを広げた。さらに均一になるようにかけられるチーズ、私の注文したアンチョビは、原価は大丈夫か?とこっちが気にするぐらい大量に乗せられた。あっという間にできあがったそれらは素早くカウンター奥のオーブンに入れられ、その間に代金の3ドルを払った。500円以下で本格手作りピザをこんなところで食べれるとは誰も知らないだろうよ、と勝手な優越感を感じていると目の前にささっと箱が置かれ、オーブンから出されたピザがカットされ乗せられた。日本のМサイズのピザがゆうに入りそうな箱に、八分の一にカットされ三角になっているのにも関わらず、箱ギリギリに押し込められる大きいピザをみると、すぐにでも食べたくなり、いっそカウンターで食べていきたくなった。しかし、途切れることなく増え続く長蛇の列と積みあげられた箱たちに申し訳もなく、お礼とさよならを告げて店を出た。

熱く大きなピザの箱を抱えて目の前の交差点を渡り、ふと、そういえばあのピザ屋の名前を知らないなと気づいた。手にしている箱にも書いていないので、振り返ってピザ屋を見ると、店のかなり上のほうに目立たない色で店名が書いてあった。

 

『SAM 'S  FAMOUS PIZZA』

 

自分で有名ってゆうか普通?

ってか、あの三人の誰がサムだ?

などと考えながらすぐ目の前の通りにある自宅へと大事なピザを抱えて帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

ランデブー

ランデブー = 仏語:rendez-vous = 約束

『ランデブー』

私が日本にいた頃、ポップミュージックの歌詞や、曲のタイトルなんかで時折見かけたこの言葉。大体は男女の恋愛を歌った曲の中において、哀愁、特別さ、秘密めいた空気、少しのエロニュアンスなんかを醸し出していたように思う。いわば、恋愛における特別用語のように扱われていたように意識しているのは私だけだろうか。甘酸っぱい恋愛を語った曲を聞いてると、かつての自身の経験からや想像から同じく甘酸っぱい気分を懐かしむこともある。

しかし、現実は甘くはない。

そんな甘酸っぱい気分を思い出したり、懐かしんだりするものの、そんな気分になることは悲しいくらいにないのが現実。結婚、出産をし幸福であるが、やはり10代20代のキャッキャうふふな感情を抱くことはそうそう無いのである。

出来うることなら、そんなキャッキャうふふなランデブーをしたいのが本音である。

 

何か自分でも上手く整理できないのだが、何を言いたいかと言うと…

 

お医者さんとのrendez-vous(ランデブー)

=診察予約

学校の先生とrendez-vous(ランデブー)

=面談

 

これが本日の私の午前中に入ってるランデブーである。

フランスにおけるランデブー

微塵の色気なし

 

診察室にて1時間以上待たされながら

やさぐれてきた母の実況裏日記

 

どうせなら、お色気ランデブーを希望する!!!

 

 

 

 

 

 

 

素敵と思えぬ時もある

ぬくぬくと暖かい電気毛布と掛け布団に埋もれながら気持ちよく寝ていると

『ママ!ママ!』と娘の声がした。

マ(私)『……』

娘『なんかさ、外からめっちゃ声聞こえるんやけど…大丈夫?』

マ『?』

昨夜、夜更かしをしてしまった私は寝ぼけながら耳をすませた。外から子供達の声が聞こえた。

マ『!!!!しまった!!!』

娘『…よな。』

 

我が家の斜め前に息子の通う小学校があるのだ。おかげで登下校の時間になると外から子供達たちの楽しそうな声がよく聞こえてくる。

そう、目が覚めると外ではすでに子供達が登校中だったのだ。慌てて息子を起こしに行くと熟睡していた。

『おきて!おきて!ごめん!もう学校の時間!えっと…』

慌てながら、時間を確認しようと目についた時計を見てぎょっとした。

マ『!!!ごめん~!!9時半!!!もう学校始まってる~!!!!』 

息『……えぇ!?』

娘『ママ!落ち着いて!!あの時計、夏時間のままのやつ!!まだ8時半!!』

マ『!!そうやった!』

(たしかに、登校中の声がしてるんだから9時半のはずはない!しかし、でもやっぱり遅れてるのは遅れてる!!)

マ『頼むから起きてー!!』

息『んー』

なんとか動き出した息子を見てふと、思い出した。

マ『あああ!!今日って午前中は遠足って昨日いってなかった!!?』

息『!!!!!そうやった!!!』

(しまったーーー!どうしよ!!どうしよ!!どうするよー!!???)とパニクる母。

さすがの息子も慌て、直ぐさま連絡帳を学校用のリュックから漁り、遠足の出発時間を確認した。

『ママ、とりあえず大丈夫!9時からやから!』

と救いの言葉を言ってくれた。

 

しかし、やはり遠足に間に合おうと遅刻は遅刻。先日、娘から

『もし校長先生が門にいる日に遅刻したら、校長先生に15分くらいめちゃくちゃ怒られるねんで』

と、聞いたところだっただけに、それはまずいと何としてでもこの3分ほどで息子を学校にねじ込もうと、マッハで朝ごはんを作った。もはや栄養云々ほったらかし、飲み物を用意する時間すら惜しく、とりあえずエネルギー源だけでもとサンドイッチ用の食パンにハムだけを乱暴に挟んでから、着替え終わった息子に玄関へ急ぐよう促し、靴を履く息子に上着とサンドイッチ突き付け

『はやく!はやく!』と急がせた。

『いや、ちょっと一気には無理やから、ご飯いいよ。』と靴を履きながら言う息子の口にサンドイッチをちぎってねじ込んだ。

『ん~』とサンドイッチを口にいれながら唸る息子。野菜もマヨネーズもないハムサンドはどうみても飲み込みづらそうだった。上着を着てリュックを背負う息子に謝りながら、さらにちぎったサンドイッチを渡した。

息子『もーいいよー』

マ『いいから!!階段降りながら食べて!しっかり噛んで!!ちゃんと落ち着いて!!転けないように気をつけて急いで!!いってらっしゃい!!』

と、若干の矛盾を感じつつ言いたいことを一通り言い、アパートの階段を足早に降りる息子を見送った。扉を閉め振り返ると、呆れ果てヤレヤレ顔の娘が食卓から私を見ていた。そして、

 

『ママさぁ、ほんま私がいてよかったよな。』

と言い放たれた。

 

『……本当にいつも感謝してます。』

としか、言いようがなかった。

 

 

昨日の日記を書いていた私と今日の私は別人かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

素敵な時間

『おくれる~っ!!』

と、朝から自宅のある四階から猛スピードで階段をかけおりた。

重たく古い大きなドアを開け歩道へ出ると、一目散にバス停へと走った。交差点の向こうにバス停が見えると同時に背後のほうで、バスが近づいてくる音が聞こえた。

(やばいっ!これに乗れないとまずいっ!!)と思ったが、目の前の交差点の信号が赤になり、後ろから追い付いてきたバスが私の横で停車した。チャンスと思い赤信号を無視して交差点を渡り、バスが停車してる間にバス停へとダッシュした。後から追ってきたバスとほぼ同着にバス停につき、無事にバスに乗り込めた。

呼吸を整えながらポケットからバスのチケットを取り出し、運転席横にある機械に差し込んだ。ガチャンと日付と時間が刻印され、チケットを引き抜きバスの後方へと進んだ。他の乗客も乗り込みドアが閉まり出発しようとした瞬間、

『おーーー!元気してたかー!?』

と、対向車線の向こうで工事をしていたムッシュ(フランス人男性)がバスの運転さんに手を降りながら叫びだした。

それに気づいた運転手さん、運転席の窓から手をあげ、

『おーー!!久しぶり!!何してるんだ!!?』

と話し出した。

 

(何してるもなにも、工事してるんやろ。そして、貴方は運転中のはずー。)と、心の中で突っ込んだ。車道で仕事をほったらかし、ゲラゲラと笑い会う二人。あまりに楽しげな二人の空気にツッコミはするが怒る気にもならず、無人のコンビニシステムが普及しだした日本と比べると果てしなく田舎っぽいが、どちらがいいかはわからないなと思えた。なんとも人間くさい素敵な時間に立ち会えて、朝から気分が良くなった。


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バスを降りてから再び走る羽目にはなりましたけどね。

 

 

 

熊ツリー


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ツイッターを見るようになった。

ブログを始めるにあたり、ブログについて色々と調べた結果『ブログにツイッターは不可欠!!』『ツイートしつつ集客せよ!』といったコメントをよく見たからだ。(しかし、どうやら一概には言えないらしいとのことを最近知った。)

 

なるほどと思い、この日記と繋がるようにツイッターアカウントを作ったのだが、なかなかに難しい。なんせツイートするのはこの私。親しい間柄であったり、仕事など大事な場合以外は、人嫌いというわけではないのだが、基本的に大人数で話しをするのは苦手で、おまけに人に合わせることが面倒と思っていて、面と向かっていようと興味がむかない話になると、聞いてるふりをしてるだけで微塵も聞いてない時がよくあったりで、さらにはトレンドも気にしない、女子力もなく、啓発的なことにも興味なく……とどのつまり、ツイッターには向いていないのだ。

元々、『王様の耳はロバの耳ごっこ』と称し鬱憤晴らしで始めたのであるからして、どうしても自分を曲げてまで不用意に他人に絡む気になれないのである。よほど気に入った時しかリツイートやらをしない、ろくに人様とも絡まずにいる孤独な私のツイッターアカウントはおかげでニュースアカウントがメインだ。お気に入りは『海外B級ニュース』とロイター通信の『ロイターco.jp』、あとはAFP通信『AFPBB News』。これらから世界の大事件からくっだらないニュースまで幅広く随時入手しているのだ。あとはヨーロッパの数か国の大使館もフォローしており、近隣諸国の知らない伝統行事やイベントを『へ~』とか『うわ~』とか言いながら楽しんでいる。こういった公式アカウントで世界をながめる一方で、海外で旅をしている若者なんかも数人フォローしている。私自身がフラフラと異国をさまようのが好きだったため懐かしい気持ちと応援の意味も込めてである。

そんな自身のブログのためという目的をすっかり忘れた本末転倒な私のツイッターアカウントは、悩める若者たちの楽し気な馬鹿話から挑戦話、世界で起きてる可笑しな事件、世界的大事件、政治問題、社会問題、さらに世界で起きている不幸で悲しい不条理な事件を親指でしゅっしゅっとスクロールするごとにランダムに私の手元へと届けてくれる。

なんとも混沌とした世界

そんな風にここ最近しばしばツイッターを開けながら思っていた。

 

 

とある施設で大事な約束があり、大きな建物の一階のだだっ広い部屋で一人でいた。チカチカと切れかけている蛍光灯の下で机に必要な書類をならべていると、作業着姿の年配のアフリカ系のムッシュ(フランス人男性)が扉をあけて顔を出し

『マダム!こっちが終わったら、そこの蛍光灯ちゃんと変えとくから!』

と、こちらを気遣って言ってくれた。

『ご親切にありがとう!たすかります!』

とお礼を言うと、すぐにひょいっとムッシュは顔をひっこめた。

何をしているのだろう?と気になり、部屋の外に出てみると、さっきまで何もなかったドアの横に高さ3メートルはありそうな大きなクリスマスツリーが建っていた。作業着姿の彼はこれを作っていたのかとわかり、ムッシュに『ブラボー!』と伝えた。見上げるとツリーの先の星の部分が、星ではなくグレーの熊が飾られていた。なかなか可愛いい趣味の持ち主だと思い、少し楽しくなった。

部屋に戻ってからしばらくすると約束の時間になり知り合いが集まった。数時間経ち、その日の用事が済んだ後、皆が先に帰り一人最後に部屋を出た。部屋の扉を開けたと同時にすぐ横にあったクリスマスツリーを見上げると、さっきは気づかなかった熊の姿が見えた。


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捕らえられたかのように

首を吊られていた熊

 

世界の混沌を表したかのような熊ツリーだった。