たぶん節分
2月3日が過ぎてしまった。
面倒くさがりのくせにイベントごとは大好きな私。日本にて、節分の恵方巻きブームや破棄問題が起こる中、実は負けじとこんな異国で毎年毎年自ら恵方巻きを作っては食べている。
私がまだ実家に住んでいた頃は、節分になると母が仕事帰り、近所のお寿司やさんで恵方巻きをかってきてくれていた。中身は干瓢や高野豆腐や穴子やしいたけなどが入っていたように記憶している。ここ最近の日本のコンビニや大手スーパーにありそうな、生エビや刺身が巻かれたような華やかな恵方巻きではなく、どちらかというとおばあちゃんちとかで出てきそうな地味な印象があったように思う。
手に入らないからこそとでも言うのか、できるならそういった地味な日本の恵方巻きを節分に食べたいのだが、地味な日本の味ほど、いざ作るとなると面倒くさいものはないだろう。干瓢を湯がいて炊き、干ししいたけを戻しては炊き、穴子、卵焼き…と、どう考えても夕方に作りだして夜食べれるような手軽さはないのだ。いや、訂正しよう。『どう考えても』ではない。実は考えたのではなく、【知っている】が正しい。
そう、私はかつて、あまりにも日本の恵方巻きが食べたくなり、一度だけ再現してみようと作ったことがあったのだ。しかし、出来上がったものはそこそこ美味しいことは美味しかったのだが、やはり幼い頃に食べたお寿司やさんの味とは大差があり、しかも、あり得ないくらいの手間がかかり、もう二度としないと誓ったのだ。
それ以降、私の作る恵方巻きの中身は、食材が手軽に手に入るか否かと、私の面倒くさい度の都合から、オリジナル恵方巻きが常と化した。
調べたところ、恵方巻きとは七種類の具を一度に食べることを七福神と掛けているらしく、じゃあ7種あればいいのだろうと、レタス、きゅうり、アボカド、えび、甘めに焼いた卵焼き、照り焼きチキン、マヨネーズを中心に、酢飯とともに海苔でぐると巻いて完成としている。節分を日本で過ごしたことのないうちの子供たちにとっては、私の作る恵方巻きこそが節分の正しい恵方巻きとなっているのだ。
豆まきに関しては、子供たちが小さい頃は孫たちが喜ぶだろうと私の両親が実家から節分用に豆まきの豆を前もって送ってくれていたのだが、さほどマメでもない両親は飽きたのか、ここ最近は豆が届かなくなった。数年前に主人とその件について話し合ったところ、しかたがないので豆なら何でもいいだろうよと小豆をまくことにした。(もったいないから、もちろん少量)しかし、小豆も常備してるわけでもなく、時には全く違うよく分からない豆からなる豆まきとなる時もあるのだ。
昨日は朝から音楽教室へ行き、その後、友人宅で遊び呆け夕食までご馳走になり、自宅に帰るのが夜遅くになってしまい節分ができなかったのだ。しかし、せっかくなんで1日遅れでも節分をしようと思っている。
2月4日の今日、オリジナル恵方巻きを東北東を向いて食べた後、レンズ豆をまいて福を呼ぶ。
もはや一体なんの催しだか微妙な気がする。
今週のお題「わたしの節分」