i-chi-tora’s ura-diary 一虎裏日記

"王様の耳はロバの耳"よろしく、徒然なるままに憎らしくも可愛い娘&息子の愚行を愛をもって暴露していくことを中心とする裏日記

小銭と靴下

実は、今日の日記の8割は12時間も前にできていた。ほぼ書き上がっている日記を昼食前に仕上げ、お昼間は子供たちと買い物へでかけたり、テスト勉強をしたりといった予定をたてていたのだ。ところが今日の午後、書きかけの日記の続きを忘れてしまうくらいの事件が起き、現在一面差し替えとなってしまったのだ。

 

 

大体のフランスの公立小学校や中学において、水曜日の授業は午前中のみとなっている。学校によっても若干かわるのだが、昼御飯を学校でとるかとらないかによってで同じ学校内でも生徒の帰宅時間が違う。うちの息子は学校で昼御飯を食べてから帰ってくるので水曜日は13時半に下校となり、娘は昼御飯を食べずに地下鉄で帰ってきて13時半頃に帰宅する。今日もそんないつもの水曜日のように子供たちが帰宅するはずだった。

今朝、息子を13時半に迎えにいく直前、実家の母と電話をしていた私は時計を見て慌てた。もう13時半だ!っと気づいた私は電話を急いで切り、部屋着のまま上からコートを着て、靴下をはく時間も惜しみ素足にショートブーツをはいて携帯を持って家を出た。

我が家は息子の通う小学校の斜め前に位置する。5階から階段を降り、マンションの扉を開くと、左斜め前はもう学校で徒歩一分もかからないのだ。そんなわけで、素足だろうと財布をもってなかろうと一瞬のことだといつもさほど気にしないのだ。

今日もそんな軽い気持ちで慌てて階段をかけ降りマンションの扉を開いた。すると、目の前に大きな消防車が一台、パトカーが2台とまっており何やら物々しい様子。よく見るといつも下校時にごったがえしている保護者の群れが学校前になく、通行人も消防隊員、警察官しかいない。

『!?????』

状況が飲み込めずマンションのドアの前で一人固まっていると、一人のポリスが私のところへやって来た。

『だめだめ!なんでそこにいるの!今この道、封鎖してるからすぐにあっちの通りまで出て!!』

と小学校とは反対の方へと誘導しようとしてきたのだ。

私『は?いや、なんでって、ここに住んでて今からそこの小学校へ息子を迎えにいきたいのだけども。』

ポリス『今そこの小学校でガス漏れの心配があって検証をしてるから、とりあえずここから出て。子供たちは非難してるから大丈夫だけど、まだいつもの出入り口は立ち入り禁止だから、子供達は出てこれないからね。』

私『ええ!?子供たちが大丈夫ならいいのだけれど、私は自宅がそこなので戻ってもいい?』

ポリス『だめだめ。この道を戻るのは許可できないよ。どこかでゆっくりお茶でもしてくるしかないよ。』

私『まって!そもそも私カバンもってないし、お財布だってないから、せめて取りに帰らせてください!』

ポリス『いいや、いいや、無理だよ。コーヒーでも飲んで待つしかないね。』

私『いや、だから!財布がないの!財布どころか、1ユーロすらない!!コーヒーも無理!そして、家はそこ!目の前!』

一瞬、ポリスの表情に私に対する同情の色が見えたものの、

ポリス『……うん。でも、しばらく戻れないからね。とりあえずは、ここからでて。』

 

そう言われ、ポリスの封鎖用テープの向こう側へと出された私。『さらにいうなら、靴下もないですけど?』と言ってやりたかったと悔やんでいると、同じく小学校へ子供を向かえにきた保護者や道行く野次馬が、さっきまでポリスと話していた私は事情を把握しているだろうと、次々と話しかけてきた。私としては、そろそろ帰って来るであろう娘にこの事態を電話で知らせたかったのだけれども、ひっきりなしの状況説明におわれ電話をかけるにかけれずにいた。そうこうしていると、しばらくして娘の方から電話がかかってきた。

『ママのいるとこと反対側の封鎖テープの幼稚園のほうから生徒が出てきてるよ。ママもこっちおいで!』

とのこと。

さすが娘。帰ってくるなり状況を把握できたようで連絡をくれた。反対側の封鎖テープが張られている場所までひとつ隣の通りを北上して行くことにした。娘から聞いた内容を、他の保護者の人たちに説明したので、数人の保護者たちと一緒に向かった。道すがら、家に帰れない上お金すらないと、他の保護者の人達に愚痴ると、図書館に一緒に行こうと誘ってくれたり、励ましてくれたりと、皆とても優しかった。

反対側封鎖テープ前の幼稚園の扉の横に小学校の校長先生がたっており、私がそこへ着くと息子が中から出てきた。幼稚園は小学校と隣接しており、内部でアクセスができるようになっているので、そちらから避難したとのこと。無一文靴下無しと言えど、息子の安全を確保でき、とりあえずは一安心だった。

しかし、状況はやはり無一文靴下なし。目の前に家が見えているというのに戻れない。そもそも、これが自宅にいてて『避難してください。』と指示があったなら納得はいったのだが、通りの建物内にはまだ人が普段と同じく残っていたので、うっかり路上で見つかり閉め出された感が否めなかった。せめてほんの一瞬…と思っていたのだが、先日パリで起きた大規模ガス爆発のことを考えると、もう一度ポリスに交渉する気にもなれなかった。結局、幼稚園前にて三人で

『お金がない。』

『靴下もない。』

『家もない。』

といいながら、昼御飯がまだの母娘で

『ご飯もない。』

という意見までも追加し、

これはいつまで続くのか、どうしようかと途方にくれていると、扉の横の校長先生が他の保護者に話している言葉が耳に入ってきた。

『…これは昼中続くだろうね…』と。

『!??』昼中だと!?と、私&娘は同じ表情をしてから

『先生、これはいつ頃解決しそうなんですか?』

と詰め寄った。

『全て点検がいるから、今日のお昼中はこのままだろうね。明日無事に学校が開いても、食堂もガスが使えなくて完全封鎖してるから明日の昼御飯は暖かい料理が出ないかもね。』

と説明をしてくれた。

なんてこった…と思いながら、それから娘&息子&私で路上協議を始めた。ここ最近のインフルエンザの流行により近所の友人知人もダウンしており行き場なし、昼中は家にも帰れない、無一文、素足、部屋着、下手したら夜も帰れるのやら…といった状況に、もういっそ主人の職場まで徒歩で行くかという案しか我々に残された手段はないのでは?といった話をしていると、幼稚園の扉から近所に住む日本人ママとその娘さんが出てきた。

すぐさまロックオン。とても気さくな母娘さんで何度か遊んだことはあったのだが、おうちにお邪魔したこともなかったし、友人と呼ぶにはおこがましいくらいだったのだが、もはやなりふり構ってられない我々三人は、必死で彼女らに現状を説明した。そして、

『助けてください!』

と嘆願した。

彼女は二つ返事で自宅へと招いてくれ、暖かいスリッパを私へ出してくれ、おやつやコーヒー、ジュースを振る舞ってくれた。もはや我々にとって救世主であった。初めて訪ねるお宅にて、部屋着のまま素足でおやつとなった午後。申し訳なさすぎて、昼御飯がまだなことを伏せて過ごした。携帯の充電は残り数パーセントだった。いや、充電があったとしても、もはや日記どころではなかった。

4時をまわり、そろそろなんとかなっていないだろうかと、様子を見に私だけが自宅のある通りへと戻ることにした。

外へ出ると雪が降っていて、冷たいショートブーツの温度を足先で感じながら、保護してもらえて本当に助かったと心底彼女らに感謝しながら歩いた。まだ封鎖してるだろうかと、緊張しながら自宅のある通りへ出ると、封鎖が解除されていた。

『ブラボー!神様っ!ありがとう!!』

と、一人雪の中はしゃいだ。

子供達が待つ彼女宅へ戻る途中、小銭と靴下を置いて二度と家からは出るまいと心に誓った。