i-chi-tora’s ura-diary 一虎裏日記

"王様の耳はロバの耳"よろしく、徒然なるままに憎らしくも可愛い娘&息子の愚行を愛をもって暴露していくことを中心とする裏日記

嗚呼、愛しのお節

お節が食べたい。

この数週間、ひたすらこの事について悩んでいる。

 

私が実家で暮らしていた頃、姉と両親と祖母の五人で暮らしていて、大体は祖母か母が家事をしてくれていた。しかし、毎年お正月になると父の弟達二人が家族を引き連れやってくるため、我が家の年末の台所は常に母と祖母が世話しなく動き、時には父や私たち姉妹まで手伝いに駆り出され、正月にやってくる大人数の新年会に備えての多種多量のお節がどんどこ作られていたのだ。和室の大きなテーブルに乗り切らない程のお重や大皿が並べられていくなか、隙を見ては誰もいなくなった和室で愛犬とつまみ食いをしたりもした。新年になり三が日の間、それらのご馳走を親戚や家族で好きなように飲みながら食べつくしていったのだった。

そんな風に育った私にとって、お節は年に一度しか食べれない超特別なご馳走なのだ。まして、実家を出て自炊する身にとって、あの手間のかかった多種多量の料理を一度の食事で食べれる事のなんと幸せなることか。さらに言うなら、あんなに日本酒に合う料理は他にはない。新年に日本酒をいただく風習を作った人を讃えるべきだとさえ思える。

渡仏してから10数年経てど、未だ変わらぬこのお節愛。しかし、ここは実家でもなく、まして日本でもないフランス。祖母もいなければ母もいない、戦力は私一人。食材も限られたものしかなく、出来合いのものもさほど無く、あっても美味しくない。最近は日本料理のレストラン等でお節料理の販売をしているところもあるのだが、ほんの少しの種類と量でバカみたいに高い。そんなに余裕のある暮らしをしてるわけでもなく、なにより内容と価値が合わないものにいくら楽だとわかっていても手を出す気にはなれないのだ。そんな思いから毎年、葛藤の末に私はお節を一人で作っているのだ。

食べる事と遊ぶ事には全力投球をする私。

『泣かぬなら 自ら泣きます ホトトギス

例えるなら、こんな具合だ。

栗きんとんの栗を甘露煮にするところから作り、伊達巻を白身魚をするところから作り、飾り用に葉付きミカンの葉を洗いアルコールで消毒してから料理の飾りに使ったりと、どーーーーしても食べたいという一心で、出来うる限りの方法を駆使してお節料理を作っているのだ。

しかしだ。どーーーーしても食べたかろうと、毎年作っていようと、やはり面倒くさいのは面倒くさい。行けば楽しいのはわかっているが家から出るのが面倒でしょうがない学校のような感じだろうか。いや、学校なら気合いさえあれば数分で家から出られる。お節料理はそうはいかない。お節はかなり手をぬいても食材の買い物も入れると2~3日かかる。ただし、そのかわりに三が日は料理をせずとも許されるという免罪符が漏れなくついてくるといった感じだ。

この労力と免罪符の兼ね合いが毎年わたしを悩ませるのだ。しかし、今まさにこの日記でお節愛について綴り、今年も明日からお節料理にとりかかろうと決心がついた。今年はサンタのくれた大吟醸もあることだし、この数日、やはりがんばるとしよう。

 

善は急げ。

早速何を作るか考えるとする。