now.2(正しくはナウではない。)
現在、朝から一人、ブルゴーニュへ向かう列車に乗っている。
夏の始めに日本へ降りたったと書いた次のお話としては、話題の変わりようが酷すぎるのだが、もはやどうしようもない。過ぎてしまった時間は戻しようがなく、下書きフォルダにしまわれた書きかけの日々は闇に葬ることにした。
そもそもこんなことになったのは日本にいた1ヶ月半、有効な通信機器を持たなかったのが原因だ。日本に到着し、ポケットWi-Fiなるものを持とうか、はたまた日本で短期的に携帯電話を使えるように契約をしようかとか、少しは悩んだのだが(ほんの一瞬)諸々の手続きが面倒なのと、一年に数ヶ月くらい携帯電話がない時間があってもいいだろうと思い、有効な携帯電話を持つこともせず、常にオフラインとすることにしたのだ。いつもの携帯電話をWi-Fi機能付デジタルカメラよろしく生活した夏の数十日間のおかげで、意識がすっかり携帯電話から遠ざかってしまったのだ。
発案者である私としては携帯電話を持たない日々はなかなかに愉快だったのだが、周りの人達には多少迷惑をかけてしまったかのように思う。
『場所がわからなかったら、その辺の人に尋ねる。』
『公衆電話を見つけしだい、居場所を連絡するから。』
『はぐれたら迷子呼び出しコールをサービスカウンターで頼むから館内アナウンスに気をつけて。』
等々の無茶降りを快く受け入れてくれていた友人、家族、さらに道を教えてくれた親切な知らない方々、電車の駅員さん、には
『ご協力に感謝します。ありがとうございました。』
と、この場でこっそり呟いておこう。
さて、一通り言い訳もしたことだし、現状を。
8月半ばにパリへ戻った私達は、女子供留守中の主人一人暮らし生活を経た酷い部屋の有り様に驚愕。その上、日本から持ち帰ってきた大量の食料品や日用品を片付けなければならず、容赦ない断捨離と整理整頓を余儀なくされたのだ。しかし、どうせならこれを機会に家の中を一挙大掃除をし、スッキリ爽やかな家にしようと張り切って大掃除週間を始めた。
ほぼ毎日、大きなゴミ袋一杯に要らないものをつめては捨て、リサイクルに出し、人に譲り、、、ようやくかなりスッキリしてきたと思ったここ最近、9月に入り新学期がスタート。息子にいたっては新学期どころか中学校へ入学となった。そんな息子一大イベントをゴミ捨て話の延長でしてしまうのもどうかと思うので、息子の新たな中学のお話しはまた近々書くとして、何が言いいのかというと、断捨離したにも拘らず物が増えてきてトホホということだ。せっかく不要品を捨てまくり、スッキリしてきた家の中が、新学年で必要なものを買いそろえたり、学校から配られた教材やらで、片付けが終わらない。質量保存の法則でも働いているのだろうかと思ってしまうくらいだ。
そんな物理的なインプットアウトプットを繰り返すなか、新年度ということで各所書類手続きや登録手続きなんかも課せられ、キーーーッとなってきていた私に、数日前、息子のチェロを貸してくださっているレンタル楽器屋さんから連絡が入った。内容は
『一年に一回はメンテナンスをしたいから、アトリエまで楽器を持ってきてくださいね
。』
とのことだった。
息子の愛用している楽器は昨年の夏に、彼のチェロの先生がブルゴーニュのどこぞの街へ立ち寄った時に偶然見つけたらしく、『子ども用のチェロでこんないい音がするなんて!』と感動し、頼み込んで借りてきてくださったものだった。私はその楽器屋さんに出向く必要もなかったので、実際にその楽器屋さんがどこの街にあるのか、ほとんど把握していなかった。なので、これは大変だと
『実は我が家は車をもっていないのですが、パリから電車で向かってその日のうちに帰れますか?』
と尋ねた。すると、
『大丈夫ですよ。電車でも問題ないです。』
とのことだった。
それはよかったと、電話を切りすぐに契約書に書かれている住所をもとに携帯電話で経路検索をした。調べた結果、片道四時間弱かかることが判明。軽く舌打ちしたものの思いの外、列車の料金が安かったので、致し方なしと直ぐ様列車のチケットを予約したのだった。
そして今、一人、息子のチェロと共にいざブルゴーニュへと向かっている。片道4時間弱をかけ、子供達が帰って来る夕方までには自宅へ戻る、超とんぼ返りブルゴーニュ一人ツアーである。
心底面倒だと思っていたのだが、いざ朝早くから大きな駅に着き、特急列車に乗ると実感すると少し気持ちがはしゃいだ。遠足気分になった私は、列車に乗る直前に車内でコーヒーでも飲もうと売店へと立ち寄ったのだ。
そして気付いた事実に驚愕。
財布の中に10ユーロもない。
カプチーノと水のお代を支払ったがために、現在所持金約5ユーロ。
ブルゴーニュの到着駅からはバス移動、、、とにもかくにも着いた駅前にATMがあることを祈るしかない。
『Bonne journée.( ボン ジョルネ)』
意味 : 良い一日を。
アーメン。
(※この直後に、持っていた水を派手にこぼし、この記事は下書きフォルダに入れられ、3日間程熟成(?)されていました。)
Now.
今頃、私は台湾にいたはずだったのだ。
娘&息子を引き連れ、小籠包を食べ、かき氷を食べ、タピオカミルクティーを飲み
『アジア最高!!!』
なんて叫んでいただろう。
ことの発端は、春先に今年の夏はどうしようか?と悩んだところからだろうか…。
海外在住者の多くは夏の長いバカンスをつかって、日本へ一時帰国をする方が多いのだが、なんだかんだで我が家はこの四年間、夏休みをフランスで過ごしていたのだ。なので今年は久しぶりに夏休みに長期で日本にいこうかと考えたのだが、いかんせん日本行きの航空券は高い。そりゃ、家族もいるし友人にも会えるし、長期間実家でゆっくりできるし、言葉だって困らないで超快適で過ごせるのだから、ゆっくり日本へ行けることは本当に贅沢極まりなく、高価であっても致し方のないことなのかもしれないとも思える。しかし反面、たまに大金を使ってする旅行がいつも同じ場所というのは子供達の人生経験値を考えるとそれはちょっと勿体ないんじゃないかとも思えてきたのだ。だが、甥っ子も生まれたし、家族友人にも会いたい、その気持ちも捨てきれない………そんな欲張りな悩みから
『乗り継ぎ時間が長い飛行機を使って安く楽しく日本へいこう作戦』
を企てた。
今までは、まだ小さい子供達の体力も考え、そこまで無茶な旅行計画もしてこなかったのだが、今回はあえてその真逆を実行。とにもかくにも愉快そうな場所で乗り継ぎをし、その間の長時間、ちょいっと異国を楽しんでから日本へいくぞと、乗り継ぎ時間が長い航空会社を検索したのだ。その結果、エバー航空の台湾乗り継ぎ7時間待ち日本行き格安チケットという魅惑的航空券を発見したのだ。子供達と
『本格小籠包ぉ~!!!!』
と盛り上がり、航空券を予約してからのこの3ヶ月、日本に行くこと以上に初めての台湾上陸を子供達とひたすら楽しみにしてきたのだ。特にこの1ヶ月はバタバタと駆け足で過ぎていき、日記も書けておらず、ここはひとつドォーンと、
『台湾なう。』
なんてタイトルの台湾日記まで書いてやろうと企てていたのだ。
が。
出発予定5日前、一通のショートメッセージが届いた。
『お客様の航空券はキャンセルされました。』
その無情の意味不明なメッセージに「は??」と凍りついていると、さらに一通のメールがエバー航空から届いた。
『従業員ストライキによりお客様の予定便はキャンセルとなりました。詳細はこちらにご連絡下さい。』
と。
「はああああああ????」
となり、慌てて航空会社と連絡を取ろうと試みるも、何処にかけてもどれだけかけても通じない。調べてみるとかなり大規模なストライキであったため、これは電話が通じようと代替案に期待はできないと判断した。
『小籠包がああああぁぁぁぁ』
と絶叫しながら、泣く泣く払い戻し申請を実行。台湾経由日本行きのチケットをキャンセルしたのだ。
あまりの理不尽さに、最近、近所に新しくできたアジアンテイストなカフェへ連日行き、タピオカミルクティーを飲み、台湾気分に浸ってやった。それでも諦めきれず、
『次こそは、台湾経由で日本へ行く!!なんなら、乗り継ぎ待ち時間25時間にして1日居座るぞ!』
と息巻く母に
『こんな仕打ちをうけても、まだ台湾に行く気なんや?』
と娘が質問してきたが、
『小籠包に罪はなし。何故に私が小籠包を諦めないといけないのだ?』
と返答すると、
『そりゃそうや。』
と娘。
次回は台湾経由リベンジ案が母娘間で決定した瞬間であった。
が、しかし。
さらに、しかしだ。
捨てる神有らば拾う神ありを実感する奇跡が起きた。
本来なら出発直前に買う航空券はバカみたいに値段が上がるので、そんな高級チケット、我が家は手を出せるはずもなく、もう今年の夏は日本に行くのは無理かとも考えたのだが、なんと、誰かがキャンセルでもしてくれたのか、出発予定直前にして格安航空券を発見。しかも、残席三枚。ドイツ経由日本行きってことで、それほど乗り継ぎの待ち時間も長くなく、ゆっくり遊べそうもないのだが、ソーセージとビールくらいは空港で楽しめそうな日本に行けるチケットをゲットしたのだ。
ほんとにここまで来るのが長かった…ようやくようやく…
ということで、
関西国際空港なう。
恐怖の親子式
1ヶ月ぶりに日記を再開した私。さすがにこんなに長く文章を書いていないとなると上手く書けるかと、日記といえど多少なりとも不安が生まれた。さらにはこの1ヶ月書き損ねていたことを改めて書こうか、スパっと気持ち新たにこれからの日々を書き綴っていくか…どうしてこうかと悩みもでてきた。
そんな私に息子が矢継ぎ早で、
『明日は飛び道具用意しといてや!』
とか、
『飛び道具ちゃんとママが作ってくれなあかんで!』
とか、
『俺、元の身体に戻らなあかんから!』
とか、全く理解できない意味不明な頼み事を言ってきた。
さらにその直後、呑気に
『ち~いさい頃~は~ か~みさまがいて~…♪』※
と裏声で歌い出した。
一体どうやってこんな謎の生き物の観察日記を日々書いていたのだろうと思えてならなかった。
しかし、つい今しがた私は娘に、たった1日で終わらした日記について、もう続けないのかと言及したところ
『ママがするおかしなことを日記にこっそり書いていったら面白いなと思ったんやけど、そんなんしだしたらキリないから、無理やと思ってやめてん。』
と言われたことを思いだした。
母娘も大概似てきたが、
息子=書き留めるには難易度高(母談)
母=書き留めるには難易度高(娘談)
という上記のことから
息子=母
という恐怖の式が算出された。
やはり日記を書くと思考が整理される気がするが、その分我が子たち(と自分)への不安が募る。
※魔女の宅急便テーマソング
松任谷由実さん『やさしさに包まれたなら』
人の振り見て我が振り直せ
部屋の掃除をしていると、本棚の前で一冊のきれいなノートを見つけた。
何のノートだろうとパラっと開き、ふっと笑ってしまった。
フランスでは、今のこの時期は年度末である。6月末前後に各教育機関で三学期が終わり、9月の新学期スタートまで長い夏休みとなるのだ。そのため年度末のスペシャルイベント的なものがこの今の時期多発する。日々の出来事を面白おかしく暴露していた私としては、そんなネタだらけになりそうなイベント期間を嬉々としておくるはずだったのだが、それらのスペシャルイベントに伴い、連日頼まれ事が舞い込んできたおかげで日記どころか日々の生活すらぎりぎりでクリアする羽目になったのだ。
5月中旬、抱えていた書類手続きのほかに把握していた予定は、娘のバイオリンコンクールの受賞式と受賞者演奏会、子供たちの音楽教室でのソロコンサートと伴奏合わせとリハーサルだけであった。アルバイトもこの2週間入っておらず余裕綽々かと思っていた私は、娘の学校の文化行事の助っ人を頼まれて『私にできることでしたら』と軽く引き受けてしまったのだ。軽い気持ちで小さな用事を引き受けたつもりだったのだが、予想を大幅に超えてどんどんどんどん頼まれごとが増えていき、終わらない用事に連日バタバタと動く羽目になった。さらにそこにタイミング悪く我が家の天井亀裂修復案件が大家さんと業者さん間でトラブり、間に入っていたのだが、なかなかうまくいかず、10年来の付き合いの大家さんに『気に入らないなら出て行ってくれてかまわない。』とまで言われ、結局、この数ヶ月たらい回しにされながら進めてきた天井修復計画をもう一度白紙にすることになり、ここしばらくの私の労力を返してくれと言いたくなるほど疲弊しきっていた。
しかし、予想外の事に疲弊しきっていようが大変なのは私だけではなく、同じく年度末イベントに備える我が子達も超多忙スケジュールとなっていたのだ。連日の練習にリハーサル、楽器のトラブル………母&娘&息子の生活はすさんだ。
部屋の掃除に手が回らなくなり、さらに毎日の洗濯ができなくなり、夕食も極力手を向いた。
そんな、ざるそば、ピザ、ラーメン、が夕食に続いたある日、このままじゃ栄養的にまずいと思った私は苦し紛れに野菜多めのパスタにでもしようと考え、パスタを作ったのだ。
家族や友人知人の間でも、わりとお料理上手で通っていた私はそんな自分の腕前に慢心していたのか、何も考えずに作りすぎた。
『ごはんできたよー!』
『はーい。いただきまーす!』
『いただきます。』『いただきます。』
娘&息子&私は揃ってフォークでパスタを口元へ運んだ。
娘『!?』
息子『……。』
ママ『!!?なにこれっ!!!』
「いったいこれは何味?」「何がどうしてこうなる?」「何これ?」と自問自答を止めれなくなるような、よくわからない味のパスタが目の前にあった。おそらく娘&息子も『まっず……』と、心の中でつぶやいていただろう。全員パスタを口に運ぶのをやめ、動きがスロー再生のようになった。
マ『ストップ。ごめん。どう考えても、これ失敗やわ。食べれる味じゃない…しかも塩が異常に多い…しょっぱい…なんか身体に悪い味してる…』
息子『……。』
娘『うん。なんかよくわからんけどひどいな。』
マ『ごめん~急いでサンドイッチ作るからそれ食べんといて!』
娘『まあ、しゃーないやん。最近ママ忙しいしさ。とゆうか10年に一回の失敗やったらいいやん。』
マ『10年?』
娘『うん。10年くらいやろ。私が生まれてからちょっとしてママのご飯食べ始めたんやし、そっから私が覚えてるなかでは、こんなひどいのは初めてやで。』
大失敗のパスタの代わりに急いでハムサンドを作ろうとしていた私は、慌てながらも娘のその言葉に正直ひそかに歓喜した。そもそも失敗しときながらなんなんだが、それまでの10数年ほどの毎日の自分はよくやっていたと言ってもらえたように思えたからだ。
『ごめん~ありがと~。じゃあ、今日の夜ご飯はサンドイッチに変更~。』
そう言って、食卓にハムサンドだけのお皿を並べ、夕食をやり直した。
大失敗の夕食になったものの、連日心身疲労気味の私としては子供たちの優しさに少し癒された気がした夜だった。
度重なる多方面からの無茶降りに辟易する中、そんな小さな癒しの夕食シーンを日記に書き留めておきたいと思っていたのだが、バタバタと動き回る日々に毎日が謀殺され、日記のページを開けることなく、それから数日が経過してしまっていた。
一カ月近く日記を書かずにいた毎日、私はいつも購読させていただいていた方々の記事も開かずにいた。開いたが最後、読みたくもなるし、また自分も書きたくなるだろうと思え、一切「はてなブログ」アイコンに触れずに過ごしていたのだ。(かわりのストレス軽減現実逃避ツールに出先でポケモンGoをインストール。娘に超呆れられるが息子大喜び。)
部屋で拾ったノートは娘のものであった。
中身をぱらっと開けてみるとほんの二行、文字が書かれていた。
『5月29日(水曜日)晴れ
ママが初めて、ごはんをしっぱいした。』
まさかの日記。しかも日記は日記でも母観察日記と言った方がいいかもしれない。よほど慌てて書いたのか、雑な書き方な上に誤字もあったが、母としてはそれよりも何よりも、日記を始めてしまうほどにあの失敗パスタは衝撃だったのかと、娘に問いたかった。
おもむろに開いたものの、ノートにはその一言以外に文字は書かれておらず、次のページをパラっと確認するも、やはり何も書かれていなかった。
三日坊主どころか一日坊主か……と呆れたものの己の状況も大差ないなと思え、意地でも日記を書きださねばと決意。
まだ少しバタバタですが緩やかにがんばっていきたいと思います。
遺伝とは斯くも恐ろしきものなのか
昨日の午後、一通のメールが届いた。娘の学校で行われていた俳句コンクールの主催者からだった。
娘の通う学校は中学高校が一貫しているフランス公立の学校なのだが、日本語を日本の中学高校レベルで学ぶことができる特殊なクラスが設けられている。日本以外にも中国やベトナム等のアジアの国々の勉強ができるクラスもあり、フランス人以外に様々な国の子供達が通っており、授業以外にもそれぞれの国の文化行事が頻繁に開催されている。
そんな学校にて、ここ数日、日本語クラスの子供たちに向け俳句コンクールが開催されていた。生徒たちが思い思い好きに俳句を考えてそれを提出すると、日本にあるとある俳句関連の会の方々が審査をしてくれるというコンクール。参加は強制ではなく任意なのだが参加賞を目当てにほとんどの子供たちが参加しており、娘も例にもれず参加賞の日本の駄菓子ほしさにその俳句コンクールに参加していた。
届いたメールは、その俳句コンクールの主催者からであった。タイトルには、【俳句コンクール受賞者】と書いてあった。私はおもむろにそのメールを開いた。親指で携帯画面をスクロールしてメール文を見ていくと、コンクール入賞者の欄に娘の名前と娘が書いた俳句を発見した。
『夏休み 宿題終わらす 夢の中』
先日、この俳句を娘から先に聞かされ、『ここ最近のバカンスいつもそんなんやん…』と娘の自虐俳句に何とも言えない気分になっていたのたが、まさか規模の小さいコンクールとはいえ入賞するとは思っていなかったので驚いた。
さらに添付されていた【審査員句評】というファイルを開いてみた。娘の名前の横に審査員二名の句評が書かれていた。
『誰もが共感すると思います。思わず笑ってしまった。共感度No.1です! 夢だったんだね がんばれ!といいたくなります。』
『ははは。宿題がすんでないのがよくわかります。寝てないで早く勉強を済ませなさいというお母さんの顔が浮かんでしまうのは深読みしすぎでしょうか。』
五七五のキレと風情あらわす季語からなるはずの俳句の句評が、みごとに笑いに包まれており、唖然とした。
自虐日記とも言える裏日記を公開してる母とダメっぷりを俳句に収め公開する娘。
これ以上は似ないでくれと願ってならない。
届かぬ想い
『これ以上食べたらお腹痛くなるから、もうやめとき!』
と、大好物のカレーライスの何度目かのお替りを制止し、夕食を終えた私達三人はここ最近ドはまりしている、日本のドラマ【ごくせん】をみることにした。
【ごくせん】とは女優仲間由紀恵さん演じる主人公ヤンクミが極道一家の跡取り娘でありながら正体を隠し、高校の荒れたクラスの担任教師として日々奮闘しながら生徒たちとの絆を深めていくという、かれこれ10年以上前に放送されていた青春ドラマ(?)である。
当時放送されていた頃は見たことがなかったのだが、原作である漫画を少し読んだことがあったので、数週間前の暇なある日、子供たちに日本の高校生の生活っぷりがどんなものか見せてやろうと思いつき、ユーチューブで見始めたのだ。たまたま暇で見始めたものの、毎話ごと何かしらの問題がクラスや生徒の家庭内で勃発しては、さっそうと現れて敵をやっつけ解決していく仲間由紀恵さんを見て
『これ、あれやん!!暴れん坊将軍やん!!流れが時代劇!!』
と、気づいてしまい、弱時代劇好きの心をくすぶられ、そのままずるずるエピソード1から3まで網羅するほどにはまってしまったのである。
テレビの前で立ったままごくせんを見ている息子が突然ヤンキー口調の真似をした。
『あかんで!そんな言い方したらあかんって言ってるやん。この人達も普段は丁寧に話してはるやろ。荒っぽく話したらかっこいいんじゃないやん?いつも見てるコナン君も話し方丁寧やろ?』
そういうと息子は『…うん。』と納得し、何を考えたのか今度は正座をしながら再びドラマを見だした。
暫くすると、息子が突然立ち上がりテレビ画面を指さしながら
『ママ!!この人が犯人やで!!!』
と叫んだ。
『これコナンちゃうから犯人おらんはずやから、大丈夫。』
『でも、この男の人めっちゃ蹴ってるから、むっちゃ悪い人やん!!』
『…うん…でも犯人…まあ悪い人やわ。でも、見たらわかるから犯人探さんいいよ。』
『ふーん、わかった。』
さっきチラッとコナンの話を持ち出したがためにおかしな方へ見方を変えたか…と、一人納得し、再びドラマを見続けた。
ドラマ終盤、生徒達がピンチに陥ると暴れん坊将軍かのように担任教師ヤンクミ(仲間由紀恵さん)が現れた。盛り上がる音楽の中、ザコ悪軍団を蹴散らして、悪者達へ決め台詞を放つ瞬間が来た。
『私?私はその子達のせんプツッ……………
まさかの突然音声切れ。
娘『!!!!!…はぁ???』
ママ(私)『!!!!…アンクワイヤーブル…』
無情にも突然無音で字幕のみとなった見せ場シーンに娘&母で憤慨。そして落胆。
娘『…今さ、『くっそ!!!!』とか言いたかってんけど、堪えてんで。えらいやろ?』
マ『…奇遇やな。ママもそう言いそうになったのを堪えたからこそ、マイルドに『信じられへん』ってフランス語で言ったんやん。』
娘『よく耐えた。』
マ『やな。うちら今のはよくがんばりましたよ。』
ついさっき、息子に言葉遣いについて語っただけに迂闊に暴言は避けねばと頑張った母娘。無音でごくせんのクライマックスをぼんやり見ながら称えあった。
ごくせんも見終わり、寝る時間となったので子供たちはそれぞれ二段バッドへと寝に行った。いつもならここで、『おやすみ』というのだが、ごくせん直後だったので面白がって
『おやすみなさいやし、お嬢!!』
と、極道一家風に娘に言ってみると
『ママがそうゆうことするから、真似するんやろ!!!』
と、ごもっともな意見で怒られた。
『でも、これは丁寧な言葉やしさ…』
とかなんとか娘に言い訳していると、二段ベッド下段から息子がでてきてこう言った。
『あのさ、台所にカレー匂いに行っていい?食べへんから!匂いだけやから!』
母娘の想いはいつか彼に伝わるのだろうか…
For my nephew.
朝、目が覚めて携帯電話を見ると義兄からメッセージが入っていた。
ついにきたかと飛び起きて
『!!!!!』
とだけ返事をした。
子供たちを送り出してから、ソワソワソワソワしながら洗い物や後片付けをし、出かける用意をしながら、今日の予定を考えた。
まずはマルシェへ行って…銀行は…もう明日やな。郵便局は書類揃えて今日中にいかないとやばいかあ…バイトもあるし…いや、でも今日は何よりもマルシェが大事。お魚買わな。あ、お米もなかった!ー時間内にお米も買いにいかな…あ、お花もほしいなあ…ケーキも買っちゃう?いや…ケーキは違うわ、ないない、ケーキは我慢しよ……
上着をはおい、携帯電話と財布の入ったカバンを手に取り、出かけようとした瞬間、
『ピロンピロンピロンピロンピロンピロン』
と、メッセージの受信音が立て続けに鳴った。
もう後は家から出るだけというところだったのだが、バタバタと慌てて食卓へと戻り、急いで鞄の中から携帯電話を取り出した。メッセージの内容を見ると数枚の写真と共に
『3816グラム』
の一言があった。
それは、待ちに待っていた姉の第一子出産が無事に終わったとの報告だった。
昨年秋から姉は第一子妊娠にともない切迫早産の危険から絶対安静となってしまい、この数ヵ月を病院のベッドの上で過ごしていた。そのくせ、先月もう出産予定日も近いからと退院するも、今度はなかなか産まれてこない日々。毎日いつでも車を出せるようにと、父や義兄は禁酒を強いられ、家族全員で『産まれる産まれる詐欺か』とまで言い出していたくらいだった。
出産後、疲労しきっていた姉にかわって、義兄が産まれたばかりの甥っ子の写真を私に沢山送ってくれた。無事な姉とかわいい甥っ子の姿が嬉しくて、ニヤニヤしたくなるのを我慢しながらマルシェへ行った。
実のところ、姉の妊娠出産に関して、私はかなりの心配をしてこの数ヵ月を過ごしていたのだ。初産の姉本人や極細神経の持ち主である不安症気味の我らが母の前では、ネガティブ発言は危険と考え、
『いけるいける。大丈夫やってー。』
と、適当なことしか言ってこなかったのだが、今までに妊娠や出産に関して大変だった話や不幸な話も身近にあっただけに、病院で完全保護状態これ以上はないという万全の体制であったとしても、100%安全な出産なんてものはないという考えを捨てきれずにいたからだ。そんな数ヵ月にも及ぶ心配がありがたくも杞憂に終わったのだから、浮かれてニヤニヤしたくなったのも無理からぬこと。
今日はお祝い~♪
祝いとくればお寿司でしょう♪
めでたいし鯛ははずせないな♪
お花も買って帰らねば♪
せっかくやし日本酒でも開けてしまうか♪
あー、やっぱケーキもいるかな♪
と、浮かれながらマルシェで買い物をして帰った。
一通り買い物を済ませ自宅へ帰ると、病院にいる姉に代わって出産の報告をしようと実家で一人待機していた祖母に電話をかけた。直ぐ様電話にでた祖母は、私の予想通り仏壇の前で座っていた。
『今、仏さんに拝んでたとこやねん!!よかったわあ!いやあ、嬉しいわあ!』
と祖母は大喜びし、二人できゃっきゃと笑いあった。
祖母との電話を切ってから、姉の友人や私の友人、主人へ報告のメッセージを送っていると、病院にいる義兄から再び
『ピロンピロンピロンピロン』
とメッセージが送られてきた。
ベッドで寝ている赤ちゃんの数枚の写真と姉の様子が書かれていた。
さらに
『ピロンピロン…』
と続いて、赤ちゃんの様子が書かれたメッセージがはいった。
【骨太・筋肉質・幅広肩・くりくり頭・僕そっくり!】
思わず、
『赤ちゃんで筋肉質て!どんなんよっ!』笑
と、自宅で一人、早くも親バカと化した義兄の言葉にツッコミをいれながら、嬉しそうな義兄の姿が想像できて、私も幸せな気分になった。
夕方、学校から帰って来た子供達にも報告し、
『一緒に何して遊べるかなー♪』
と三人で協議となった。
夕食は予定通りお祝いということでお寿司をつくった。そんなお祝いお寿司を前に、甥っ子誕生記念ということで、我ら三人、お寿司とともに記念写真を撮ってみた。
どこにも甥の姿は写ってないが、せっかくなんで大きくなったらみせてやろう。
ああぁ!早く甥っ子と遊びたいっっっ!!!
甥(おい)
英語 : nephew
仏語 : neveu